怪我と手当てと重病者

 



 戦場を駆け抜けた後で体を見回すと、ざらついた赤い点が袖口についているのに気が付いた。 触れて、揉み砕いてみると、さらりと地面にくず落ちる。
「赤い砂のようだな」
 冷静にそれを見つめているのが、どこか、おかしい。
 四方では阿鼻叫喚が響き、血の匂いが辺りに充満している。壁際に追い詰めた敵兵は、顎が外れるほどに大口を開けたまま、呆然と俺を見上げていた。傍らの仲間が、確認を求めるように俺を見る。
 頷くと、敵兵が恐怖の形相を浮かべた。絶叫が迸る。
 路地をでたのは、俺と、俺の傍らにいた兵士の二人だけだった。
「頭は潰れた。残党狩りは、お前たちでも出来るな」
「はい。この様子なら、すぐに終わります!」
「おやおや、頼もしい。お前は元堅と合流しろ。頭を潰したと伝えてくれ」
「わかりました」
 若い兵士は、礼儀正しく頭を下げて、叫喚の色濃い町の中心部へと消えていった。
 いくつか硝煙が立ち昇っている。陳軍の兵士たちが、逃亡の際に放った火だろう。見かけた味方兵に消火を促しつつ、ふらふらと歩き回る。陥落寸前の町とはいえ、俺が一人で動き回るのは珍しかった。
 そんなつもりはなかったのだが、指示を飛ばしている内に一人二人と消えていって、最後に残ったやつも、今しがた伝達に飛ばしてしまった。
「さて」
 ふつうなら、不安を感じて皆の元へ戻ろうとするのだろう。
 けれど俺は大人しい人間ではない。久方ぶりの一人の時間なのだ。
 満喫しない手はない。軽く腕を伸ばして、数秒考えてみる。
「……大将殿の様子でも見るかな」
 後姿が、脳裏を掠めた。あいつはうまくやっているだろうか?
 先見の力があるので死ぬことはないだろうが、敵兵に情けをかけがちな一面もある。先日は顔に矢を掠らせたし、妙に危なっかしいのだ。
 青樺が軍を引き連れた地域を思い浮かべ、足を向ける。
 途中には敵兵の死体が転がっていたが、味方の死体も転がっていた。
 しかし断然にこちらのが少ない。奇襲作戦が功を労したようで何よりだ。笑みながら歩いていると、右側の路地から影が飛び出した。迷宮のように路地が張り巡らされた町だ。突然の戦闘など予想の範疇である。担いでいた棍棒を振り下ろそうとして、影が見慣れた曲線を描いていることに思い至った。
 よろめいているが、彼は、間違いなく青軍大将その人だ。
「青樺!!」
 足を滑らせた体を、支える。
 投げ出した棍棒が、地面に落ちてカラカラと音を立てた。
 青樺はうっすらと眼を開け、驚いたように俺を見た。「貴沙烙」
 何かを咎めるように、青年の瞳が右へ動く。その先を追いかけると、満身創痍の兵士が、両足で踏ん張るようにして剣を掲げていた。
「死ねッ!」
「死ぬ?」
 思ってもみない言葉だったので、鸚鵡返してしまう。
 腕は自然と、青樺が緩く握り締めていた剣へと伸びた。
 取り上げ、片手だけで構えなおす。
「誰が死ぬんだ?」
 自分の声は、やたらと冷静だった。
 敵兵の剣にこびり付く朱に、眼の奥が――心が侵食される。
「貴様だろうがッ」全てが、赤く見えた。
 叫んだのと同時に、鈍い手応えが腕に響く。
 断末魔の声もなく、胸を裂かれて兵士はくず折れた。苦々しい思いが広がった。
「俺は、こういったことはしない主義なんだがな」
 舌打ちを零し、腕の中の青年を揺さぶる。少しばかり青い顔をしているが、傷は深くはないようで、薄っすらとした微笑が返ってきた。
「ちょっと失敗した」
 俺の腕から抜け出した青樺は、すまなさそうに自らの腿を見た。
 ズボンから赤い筋が滲んでいる。
「でも大丈夫だ」
「どこが、だ。招夜のところに行くぞ」
「大丈夫だって」
「行くぞ」
 有無をいわせずに腕を引く。
 ムッとしたようだったが、青樺は、大人しく引かれるままだった。
 足に怪我をしているので駆け出すことはしないが、それでも、急ぎ足で戦場を抜ける。
 敵兵には会わなかったが、数人の味方と顔を合わせた。どいつも、青樺の傷口を一番に見つめ、何か声をかけようとしたが――俺の形相を見ると、慌てて路地に滑り込んでいった。
「招夜さんならあちらです」
 そう言った男も、慌てて路地に駆け込んでいく。
 青樺が、物言いたげに背中を見つめているのが気に食わない。
 少し強めに腕を引くと、はっとしたように俺を見て、後についてきた。示された方角へいくと、目的の人物はすぐに見つかった。怪我人が道に広がるようにして体を横たえているのだ。俺は、奥で酒を煽いでいる招夜へと一直線に赴いた。
「招夜。怪我人だ」
 見たところ、一通りの手当てを終えたようで、彼は傍らの少年と談笑していたようだ。
 褐色の肌をした彼は、俺を見てペコリと頭を下げた。
「怪我人、とな」
 まどろむような眼差しを、ガンダラから青樺に移す。
「むう」その目は、瞬時に医者のそれとなり、青樺を手招きした。横に腰を落ち着け、青樺は両足を招夜に差し出す。太腿を撫でるような動きは気に入らないが、治療のためなので、今は我慢をするしかなかった。
「これはこれは」
「どうだ?」
 しかし声が苛立ってしまったようだ。招夜は苦笑した。
「大したことはない。でも、縫いましょうか。その後は、しばらく安静にしなくちゃいけないねぇ」
 少年、ケンダラに目配せをすると、彼はすぐに木箱を差し出した。招夜は上機嫌に鼻を鳴らし、慣れた手つきでガンダラの頭を撫でた。滑らかに手を動かし、箱から糸と針を掬いだす。
 針を向けられて、青樺が息を呑む。その時に、背後から罵声が聞こえた。
「くそぅっ。おい、医者! 招夜さん!!」
 恰幅の良い大男が、ひ弱そうな青年に肩を貸していた。
「こいつ無茶をしやがった。逃亡兵を追いかけて、挟み撃ちにされたんだ。馬鹿だけどイイやつなんだ。助けてやってくれ」
「むう。これは」
 男の悲痛な叫びにつられるように招夜が首を伸ばす。
「青樺が先だ」
 知らぬ間に口が動いた。
 医者の眉が、あからさまに顰められる。並みの奴なら黙りこんでしまうだろうに。
「こちらの患者は、早く手当てしないと危ないと思うんだけどなぁ」
「青樺は大将だぞ」
「貴沙烙……」
 薄い声が、俺を非難する。
 青樺は悲痛そうに見つめていた。俺ではなく、怪我をしている青年の方を、だ。
「招夜、彼を先に。俺は一番最後でいい」
「……ああ」
 大男の後ろには、新たな患者が並んでいた。
 腕や腹から血をだす彼らは、大男の知り合いのようだった。大方、挟み撃ちにされた青年を救出しようとして、逃亡兵と激しく切りあったのだろう。実力もないのに出張るなと、兵士たちには口うるさく教えているつもりだったが、こうした戦場では一瞬で意味をなくしてしまうようだ。
 イヤミでもいってやろうかと思ったが、青樺は、それを察知したように俺を睨んだ。
 仕方がなく、慌しく動き出した招夜をすり抜けて、青樺の隣に腰を降ろす。ケンダラは招夜の手伝いに行っていた。
「やせ我慢じゃないだろうな」
「痛くないといったら嘘になる」
 青樺の頬を細い汗が伝っている。俺は、ため息混じりにその汗を掬い上げた。
「お前は損をする性格だ。もっと自分を大事にしろ」
「……ん」あいまいな返事だ。青樺は、手当てを受ける青年を、心配そうに覗き込む大男をみつめていた。唇が薄っすらと微笑みを形作っている。
「まったく。お前というやつは」
 深いため息にも、青樺は苦笑いを返すだけだった。不思議と、それほど悪い気はしていない。青樺はこういうやつだ。そして、俺は、そういう青樺だからこそ、――ガラにもなく剣をとったり、焦ったりするのかも、しれなかった。
「青樺」するり、と、腰に腕を回す。
「自分を大事にしろ。俺はおまえを気に入ってるんだぞ」
「? そう……なのか」突然のことばに、青樺は意味がわからないようだ。
  わかりやすく言い直すのは格好悪い。が。これだけは、わからせておきたかった。
「俺のためにも、注意しろと言ってるんだ」
 驚いた瞳が俺をいる。ニヤリと笑ったのは、ついごまかそうとしてしまったからだが、青樺が照れくさそうに白い歯をみせたので、まあいいかと思って、腕に力を込めなおした。
 想像していたよりも青樺の腰は細かった。 

 

end.

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