傷口と戦場を洗浄
「お帰りっ」
朱緋真は、満面の笑顔で青軍を出迎えてくれた。
彼の後ろには救護の道具を持った仲間達が控えていて、俺達が連れている怪我人を見るや否や、手早く城へと引っ張っていく。今回の戦は、村を占領する陳軍を追い払うだけのものだったので、医者も連れて行かなかったし、出陣した者も少なかった。
「ふう。城の修理はどうだ?」
横にいた元堅が、仲間の一人に、気軽に声をかける。
出陣兵が少なかった理由には、数日前に襲来した台風も入っていた。
「ほとんど終わりましたッスよ」
「おぉ。そうか。俺の部屋は?」
「もちろん直しましたよ!」
おぉ〜、と大きな感嘆をあげて、仲間の頭をグリグリと撫でる。
元堅の部屋の窓は派手に壊れていたのだった。
「良かったな」
クスリ、と笑って声をかける。
振り返った元堅は、白い歯を光らせて自室の方向を指差した。
「早速、見てくるとしよう。ついでに着替えてくるかな。青樺は?」
「俺? 取り合えず……」
右頬に指を当てたところで、人波を掻き分けながら朱緋真がやってきた。
「青樺っ。どうしたんだよ、その傷!」
「ちょっとばかりドジったんだ。先見がなければ、危なかったかも」
人差し指と中指に、ざらりとした質感を感じる。凝固してしまった血の塊が、横に長く伸びていた。
「弓か? 掠ったんだな? 痛くないか? 他に怪我は?」
心配そうに、まじまじと覗き込んでくる。自然と苦笑が零れた。
「大丈夫だよ。他も全部かすり傷だし、これも、そんなに痛いわけじゃない」
「でも痛そうだぜぇ。頬っぺた、血でベットリってカンジ」
「……まあ。水で洗う時は、染みるかもな……」
朱緋真があんまり痛そうな顔をするもんだから、なんだか、俺まで痛い気分になってきた。
それは元堅も同じだったようで、露骨に眉を顰めている。矢が頬を掠った時のことを思い出して、俺は、急いで胸中に沸いた錯覚を掻き消した。この傷は、もう少しも痛んでいないんだ。
確かに少しばかり深く入ってしまったけど、元堅がしつこいぐらいに手当てしてくれたおかげで、見た目よりは酷くないのだ。
「青樺、いますぐ斎旬のトコに」
「だから平気だってば。自分でできる」
元堅の言葉を遮って、城へと駆け出す。
「青樺?」朱緋真が悲鳴をあげた。
「ガキじゃないんだから、これくらい一人でできるよ」
肩越しに振り返ると、二人は、複雑そうに顔を見合わせていた。
廊下を曲り、食堂を横切ろうとした時に、中から人がでてきた。
淡い色合いの少年は、きょとんとして俺を見上げている。
「せえか」
「氷霧。ただいま」
「顔……」
「大丈夫だよ」
無表情だけれど、俺を心配してくれているらしいのは、なんとなく理解できる。
頭をポンと叩くと、氷霧は嬉しそうに目を細めた。けれど口はしつこく「血……」と呟いている。口元が綻んだところで、食堂から別の人影が現れた。
「あ」そいつを見て、ぎくりと体が竦む。
派手な赤い衣をまとう彼は、青軍一の参謀であり、俺は戦から帰る度に戦果の報告を義務づけられていた。ここ最近は、それが厳しくなっていて、帰ったら一番に来るように言われている。
貴沙烙は、開きかけの唇から何も発せずに、じぃと俺を見つめていた。
「ごめん、顔を洗ったら報告しようと思ってたんだ」
傍らの氷無が、しつこいくらいに頬を凝視していた。
「弓か?」
「ああ」
参謀の視線もそこにあるらしい。
傷口だけを見つめられて、その内、跋が悪くなってきた。
「今、洗ってくる」
踵を返そうとするが、すぐに詰問じみた鋭い声音が飛んだ。
「痛みは?」
「ないけど」
「本当か? みせてみろ」
「大丈夫だって」
伸ばされた腕を払い除けたけれど、貴沙烙は、諦めずにもう片方の手を伸ばしてきた。
おそるおそるといった調子で、固まった血のすぐ下から、頬に指を滑らせる。思ったよりも真剣な顔で傷口を眺めてくるもんだから、俺は抵抗もできずにされるがままになっていた。
やがて、両の手の平で頬をすっぽりと覆われた。
俯いた貴沙烙が、多きく肩を下げながら、嘆くようなため息を零す。
「もったいない……」
「顔に勿体無いも勿体有るもあるのかよ」
半眼での呟きを無視して、貴沙烙は心痛そうな面持ちで頭を振った。
「傷が残ったらどうするんだ。せっかく、それなりには出来上がった顔なのに」
「お前なぁ」
「ああ、もちろん、俺には劣るけどな」
ニヤッと笑うと同時に、頬から指が離れていった。
「青樺、お前、次の出陣に参加禁止だ」
そして、しゃなりと優雅な動作で扇子を取り出したかと思うと、そんなことを言う。俺の足は、既に洗面所へと向かい始めていたが、あまりに自然な言い方だったので「ああ」と返事をしてしまった。
「えっ?」
頭の中で、言われたことを反復して立ち止まる。
ついて来ようとした氷霧が、背中にぶつかって呻き声をあげた。
「城で待機してろと言っているんだ」
扇子を手の中で弄び、何でもないことのように言う。すぐには言葉がでてこなかった。
「そうだな。その次の戦にも出なくていい。しばらく特訓でもしてろ。顔なんて、一歩間違えれば致命傷じゃないか」
広げた扇子で、口元を覆い隠してしまう。もともと本心が読めないタチの男だというのに、そうしてしまうと、上辺の表情すらも読めなくなって本当に何を考えているのかわからない。
「直前になって先見することもあるんだ。戦場には俺がいないと」
「そうはいっても、そんなことは極たまにあるだけじゃないか」
最だ。追い討ちをかけるように、貴沙烙は扇子の奥でため息をついた。
「足手まといになるのは嫌なんだろ? このところ戦続きだ。剣の練習をする暇もなくて、腕に不安を感じている頃じゃないのか」
これまた、最もだ。俺はここ一週間ばかり、剣の特訓をしていない。
憮然としてはいるものの、反論できない俺に気を良くしたのだろうか。ピシッと軽快な音を立ててたたまれた扇子の奥から、満面の笑みが現れた。
「決まりだな」
「貴沙烙っ」
反論は思いつかないけれど、それでも戦場に俺がいないのは不安だ。
抗議の代わりに名前を呼ばれて、貴沙烙は片眉を器用に吊り上げた。その両眼が、冷えた輝きを灯してスゥと細まる。
「いいか、青樺。修練に時間を費やすことも大切なんだ。お前が敵に斬り殺されてみろ。先見のできる奴はいなくなって、お前が戦場にでないことよりもっと、多くの死者がでることになるんだぞ」
「う……」
「ほら、決まりだ」
貴沙烙は、間違ったことは言っていないと思う。
でもなんだか、うまくやり込められた気分になるのは何故なんだろう……。
拳を握り締めて黙り込む俺を、貴沙烙が面白そうに見つめる。やがて、彼の視線は傍らでぼうっと佇んでいる儚げな青年へと移動した。
「氷霧。青樺の頬を洗って、その後で招夜のとこにでも連れて行ってやってくれ」
瞬きをする氷霧に、貴沙烙が苦笑を浮かべる。
「頼もしいな。ああ、そうだ。俺もしばらく戦に出ないつもりだから、修練の相手が欲しい時は声をかけろよ。手ごろな奴を見繕ってやる」
「……どうも……」
「それでなくとも、好きに声をかけてくれて結構だが」
にやりと妖しげに微笑み、扇子を肩にかけてくる。
「例えば、寂しい夜に、連れ添う相手が欲しくなった時とか」
「息を耳に吹き込むな」
疲れたわ呆れるわで、怒鳴る気にもならない。
寄って来た貴沙烙の顔を引き剥がし、氷霧の腕を掴む。そのままズンズン廊下を進む背中を、くすくす、と、含み笑いが掠めた。
「青樺を洗う」
何かを決意したらしい氷霧が、ぼうっとした顔で囁いた。
end.
** もどる
|