夜に涙石

 


「あれっ」
 庭に出ようとして、俺は、東屋で酌に興じる貴沙烙を見つけた。
 そんなに大きな声ではなかったはずなのに、彼はひょいと顔を出す。静まり返った大気が俺を囲い、満月がこうこうとした光を振りかけている。
 貴沙烙は、気楽に杯を持ち上げた。
「青樺、どうだ?」
「今は遠慮しとくよ」
「そうか」
 こだわりなく呟き、貴沙烙は杯をあおった。
「一人なのか?」そう聞いたのは、貴沙烙の顔が、引っ込むでもなくいつまでもそこにいたからだ。
「ああ。そっちもか?」
「まぁ一応」
 曖昧な返事を返して、庭を見渡す。
 月明かりだけでは心許なかった。昼間に、雷穿基から貰い受けた石を、ここに落としてしまったのには間違いがないと思うんだけど。要兄と取っ組み合いなんてしなけりゃ良かった、と思いながら草を掻き分け始めると、背後から苦笑が漏れ聞こえた。
「…………」
 楽しそうなその声を耳にしていると、捜すのは明日にしようかと考えてしまう。
 しかし、雷穿基は起床も早いし目も良いしで、たぶん、俺よりも早く石を見つけてしまうだろう。彼の毎朝の日課は庭の散歩である。それも景色ではなく石を眺めるための散歩だ。そこに、自分があげたはずの石を見つけたらどう思うだろうか。
 軽い溜息をつく俺に、貴沙烙が、やはり面白そうに声をかけてきた。
「探し物か。何が欲しいんだ?」
「貴沙烙……」
 さっさと引っ込めよ、という意味合いで半眼を送るが、彼は微塵も気にしなかった。
 左手を窓辺に引っ掛けて、右手で酒のつがれた杯を持っている。クイ、と軽く煽りながら、貴沙烙は、楽しそうな、どこか皮肉げな微笑を張り付かせている。
「やりにくいんだけど」正直な感想だった。
「知るか。俺がもともと居たところに、お前が来たんだぞ」
 悪戯っぽく喉を鳴らす。むっとしたが、事実そうなので、結局、俺は再び草を掻き分け始めた。
「何を探してるんだ?」
 しつこく訊いてくる。
 石だよ、とぶっきらぼうに応えると、貴沙烙は奇妙な感嘆をついた。
「雷穿基か」
 彼の変わった趣味は、貴沙烙の知るところでもあるらしい。
 見ると、貴沙烙は顎に指を当てて、探るような視線を俺に向けていた。庭と俺を交互に見て、にやっと唇を吊り上げる。
「さては。求婚でもされたのか? それで、婚約の品を庭に落としたとか?」
 なんだか疲れてしまって、否定する気も起きない。
 無言を肯定と受け取ったのだろう。貴沙烙は満足げな溜息を落として、人の悪い笑みで俺を見た。
「冗談だよ。おい、手伝ってやろうか?」
「え?」
 意外な一言だ。
 顔に出ていたらしく、貴沙烙は、今度は不機嫌な顔をした。
「俺は普段、そんなに嫌な奴に見えるか?」
 苦笑交じりにそんなことをいってくる。俺が固まっている間に、貴沙烙は軽い溜息をついて、杯を机に置いた。コトン、という音が闇夜に染み込む。
 赤い衣を纏った青年は、ゆったりと優雅な仕草で東屋からでてきた。
「ただし、見るのは月明かりの当たるところだけな。服が汚れてしまう」
「あ……そう」
 これは貴沙烙っぽい。
 思わず吹き出すと、彼はヘンな顔をして俺を睨んだ。
「手伝わなくてもいいんだぞ」
「ごめんごめん。ありがとう、助かるよ」
「どんな石なんだ?」
「涙石って、雷穿基は言ってたよ」
 小粒ほどのサイズを人差し指と親指で示してみせる。
 貴沙烙は、妙に納得が行ったような顔をして息をついた。
「わかった」
 それだけでわかってしまうのか。
 軽い驚きを感じる俺には構わず、貴沙烙は、あたりをキョロキョロと見渡し始めた。切れ長の眼が、お前も動け、というようにジロッと睨んでくる。慌てて、俺は下生えを覗くためにしゃがみ込んだ。
 十分後に、貴沙烙が涙石を見つけた。
 これで眠れると思ったのも束の間、貴沙烙は、渡す代わりに酒を飲めといいだして、俺は結局彼に付き合わされたのだった。もしかしてこれが狙いだったのだろうか……?

 

end.

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