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宵の口説き文句

 




「星空って、こんなに綺麗だったんだな」
  いまどき女でも言わない陳腐な言葉だってわかってる。
  でも、言わずにはおれなかった。夜風は、昼間の生ぬるい湿度がウソのようにカラリとしている。
  久しぶりに都に降りて、その熱さに愕然とした直後だったから、尚更に清々しく感じているんだろう。格別な心地良さだ。これから、オレたちは高知に聳えた村に攻め入る。
  そして、陳軍を追い出す。内部にはオレたちに賛同してくれる人もいっぱいいるし、潜んでいるのは大軍でもないから、そんなに難しくはない作戦だ。オレたちは軍に入ったばかりの新人を大量につれていた。彼らの練習もかねた実戦である。
「空気もおいしい……」
  草の匂いがする。生き物の気配がする。
  ワイワイとした声が背後から響く。馬の蹄と重なって、奇妙な緊張感のなかに温もりを混ぜていた。この空気。この雰囲気。なんて懐かしいんだろう。
  そう。今回の一戦は、オレのための練習でもあった。
  城に囚われて、やつらの慰みモノにされたあいだはまったく剣を持たなかったから、ちゃんとできるかどうかを確認するんだ。本当はこなくてもいいのに、オレを心配してか元堅たちが同行してくれていた。
  仲間だ。ほんとうに、オレには、仲間がいるんだ……。
  目を閉じていると、馬が足を止めた。
  先を進んでいたはずの貴沙烙が、オレたちを遮っていた。物いいたげな目をして、オレを眺めている。
「どうかしたのか」
「いや。妙なことを言っているなと思って」
  最後尾の元堅のところに行く途中なんだろう。
  小脇に地図をかかえていた。半分だけ広げているから、急ぎの用事に違いない。貴沙烙ご自慢の愛馬は、主人に訴えるように蹄をカツカツと鳴らしていた。
「青樺、おまえ、本当に大丈夫なのか」
「ああ。もうすっかり良くなったよ」
  そうじゃない。そんな目をして、貴沙烙が眉根を顰める。
  彼にしては珍しく言い淀んでいるようだった。部下たちが、どんどんとオレたちを追い越していく。青みがかった貴沙烙の瞳は、やがて上向いて空を見上げた。
  無数の星が輝いている。
  今夜は野宿だ。あの日。死にもの狂いで陳王高のもとから逃げ出した。オレを保護したのは貴沙烙だった。勘が鋭いうえに色沙汰に詳しい彼のことだ。オレの身に何があったのか気がついているんだろう。貴沙烙に限ったことではなかったけど。
  元堅も城のみんなも、きっとわかってる。でも何も言わない。
  言うとしたら、誰かが何かを言うとしたら、それは貴沙烙なんだろう。彼は自らそうしたポジションを買ってでる。彼は静かな瞳をしていた。
「…………」
  空から視線をさげて、そのまま大地まで下げて、低く呟く。
「無茶はするなよ。何か、……つらくなるときがあったら、オレを呼べ」
  真剣そのものの眼差しだ。暗に何を指しているのかは理解できた。
  オレはそれくらいまで芯から穢れてしまった。――城に戻ってきてから、オレと貴沙烙の関係は少し変わったと思う。昔、城に囚われる前だったら貴沙烙は絶対にオレにこんな言葉をかけなかっただろう。冗談めかして言うことはあっても、こんな、心遣いらしきものをこめるなんてあり得なかった。
  気がつけば、オレは片腕で自分の肩を掴んでいた。
  貴沙烙から自らの体躯を隠すように、肘を少し突き出して戦慄いている。
  時折りに、あの穢れた出来事を夢にみる。沸き上がるものは嫌悪だ。だけど、だけど、本当に時々に、目覚めてから下肢の熱に気付くこともある。
  本当に貴沙烙は鋭い。
  オレのことなんて、全部お見通しなのかもしれない。
「――。い、いいよ。どうにかできるから」
「そうか? オレは深いことは気にしないぞ」
  彼は悪戯っぽく微笑む。頷いたオレへ向ける眼差しは、柔らかかった。
「ちょっと違うか。気にはなるのが正直なところだ。やっぱり拷問じみたものが中心か?」
「貴沙烙……!」それは、無神経な質問だ。
  目尻を吊り上げると、貴沙烙は肩を竦めた。
「ウソだよ。なぁ、青樺。オレは、おまえが死んだかと思っていた」
  貴沙烙? 喉から飛びでた声はニュアンスを変えていた。 
  いきなり何を言うんだ。話題が話題だからか、貴沙烙は声を低めていて、気をつけて彼の唇に集中しなければ聞き逃してしまいそうだった。唇は、薄く開いたままで、時折り舌を覗かせた。
「ふらふらしてたお前を見つけたとき、どれだけ驚いたかわかるか? その細っこい腕を掴んだときには、ミイラに触れてるみたいで心臓が潰れるかと思った。青樺、オレはお前になら優しくできる」
「……――?」
「ハハ。ま、訊いておけよ」
  眉根を顰めていると、貴沙烙は苦笑して手綱を握った。
  トコトコと脇をすり抜ける。そのさなかに、さらりと頬を撫でられた。
「このオレが心からそう思えるんだぞ? 辛いだけじゃなくって楽しいものだって教えてやる。青樺、おまえの心に傷があるなら、包帯が必要なんじゃないか」
「……おまえが包帯になるっていいたいのか」
「ご名答」にっこりとして、貴沙烙が小首を傾げた。
  女にかけるみたいなネコなで声だ。鳥肌がたった。
 ……信じられないことだけど、そんな、悪い意味の鳥肌じゃなかった。背筋に通った一本のホネまでゾクゾクするみたいな衝撃だ。馬の背に乗ったままで、思わず腰を引いていた。そんなオレを貴沙烙が肩越しに振り返った。
「お? 相性は悪くないみたいだな」
「ば……っ、バカ! 二度とするなっ」
「まー、こういう事情なら馬鹿と言われてもいいかもな」
  片手だけを振って、貴沙烙が愛馬を走らせる。元堅たちの軍はすぐそこにきてるだろう。
  頬を撫で付けつつも、思わずうめいていた。
「み、身内でも貴沙烙がいたか……!」
  ある意味、ここでも貞操の危機を迎えてしまったことになる。
  いくら思ってみても、そんなにイヤな気はしないものからさらに困る……。手綱を叩いて、追い抜いた部下をぜんぶ追い抜き返したけど、胸に灯った火が掻き消えなかった。
  これって貴沙烙の思い通りなのだろうか。作戦変更の伝令がきたのは、その少し後だった。

 

end.

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