異端

 



「まずまずの結果だったな」
 戦を終えて城に帰り、着替えを済ませて食堂に行くと、既に貴沙烙が勝利の美酒を味わっていた。
 周りは貴沙烙馴染みの部下達で固めてあり、ちょっと近寄りがたい雰囲気だ。戦略について検討をしているみたいで、難しい顔をして本を広げている人までいる。
 顔をあげた貴沙烙と目が合い、こっちに来いと手招きをされたけれど、俺は、苦笑して首をふった。
 誰か他にいないものかと食堂を見渡してみる。朱緋真や元堅の姿は見えなかった。それどころか、気さくに話し掛けられる奴はそろって見当たらない。
「さては、皆、貴沙烙たちが難しい話をしてるから逃げたな」
 こういう時は、各人の部屋を訪ねてみるのが良い。大抵、数人で寄り合って酒を交わしているのだ。
 元堅の部屋に当たってみようと踵を返し、廊下に出る。
 月が隠れているので辺りは暗く淀んでいた。月明かりの元では誇らしげに起立している庭の木々も、どこか切なげに傾斜して見える。しばらく棒立ちに眺めていて、ふっ、と庭に立ち入る気になった。
 明りのない中で歩くのは少しばかり危険だ。
 たまに石に躓いてしまうし、前方に何があるのかも見えない。
 食堂の方面から漏れてくる明りだけが頼りだ。
「灯りを設置しなくちゃな」
 これで誰かが怪我をしては大変だし、灯りがあったら月のない夜でも稽古ができる。
 明日にでも貴沙烙に相談してみよう。適当に歩いていた。いつの間にか崖縁に立てられた塀のところまで来てしまっていた。頼りにしていたはずの食堂の灯りも、届いていない。
「帰るまでに怪我して、自分の体で行灯設置の必要性を訴えるコトにならなきゃいいけど」
 肩を竦めて方向転換をした時だった。ギョッと全身が粟立ち、腰に差した剣に腕が伸びた。
 引き抜きかけたところで、刀身に大きな衝撃が加えられる。
「夜の一人歩きは、危険だって言ったよなァ」
 聞こえた声には覚えがあった。
「うあッ」
 刃を抜きかけた体勢のまま、塀に叩き付けられる。
 変な体制で受け止めてしまった斬撃により、肘から先はじりじりと痺れている。けれど俺には、痛みに唇を噛む暇さえ与えられなかった。
「オラァ! ボケっとしてると一瞬で終わるぜっ」
 二つの巨大な刃が、小さな影に支えられて襲い掛かってくる。
 痛みを押し殺して剣を構え、片方を飛んで避け、片方を受け止める。
「ぐぅ……」
 力の差か技量の差か。
 小柄な体躯から繰り出される一撃は、鉄の塊をぶつけられたみたいな重量感があった。
「甘い!」
 影が吼えると、受け止めた方の刃が急激に重みを増した。
 剣を横に逸らしてやってどうにか刃から逃れたが、噴き出た脂汗は引っ込みそうにない。
 絶望的な気持ちで、俺は、影の名前を呟いた。
「煉邦……!」
「怨むならテメェの不注意だな。俺の獲物だと、言ってやっただろ?」
 大鋏を両手で構え直しながら、小鬼のような八重歯をちらつかせる。薄闇の中でも、八重歯はギラリと邪悪にまたたいて見えた。
「お前……」
 言いたいことはいっぱいあるのに、言葉がうまく出てこない。
 足の先から指の先、頭の先までがスゥと冷え込んだ。結局、捻り出せたのは一言だけだ。
「本気か」
「先の戦じゃ、あまりイイのがいなかったからな。
 おあえつら向きに一人になってくれるなんてツイてる。戦の憂さ、テメェで晴らさせて貰うぜ」
 ぎらぎらした瞳が、舐めるように全身を見回してくる。赤い舌がペロッと顔を出したかと思うと、煉邦の狂喜に満ちた瞳が間近に迫った。
「くそ!」
 柄を握り締め、片手で剣の先端を抑えて、二本の刃を受け止める。大鋏の下に体を滑り込ませて、下から上に白刃を凪がせたが、飛び退かれてしまったので手応えはない。
 けれど狙いは一撃を与えることじゃなかった。
 俺は、体を引き摺るようにして母屋の方へと駆け出した。
「行かせるかよ」
 吐き捨てる声がすぐさま追いかけてくる。
 ここで捕まったら終わりだった。俺と煉邦の力の差は歴然としている。人気のない庭の奥で戦うなんて、嬲り殺しにしてくださいと言っているようなものだ。
 恐怖のためか戦闘の昂ぶりのためか、少し駆けただけでも心臓が痛いほど脈打っている。息を吸うのも吐き出すのももどかしくて、少しでも前に行くために脚に力を込めた。――が、母屋に飛び出そうという時になって、前方が塞がれた。
 上から降ってきたそいつは、たたらを踏む俺にニヤッと口角をあげてみせる。
 距離を取ろうとするも時は遅く、小さな手の平に額を鷲掴まれた。
 片足で蹴られたこともあって、呆気なく草むらに倒れ込んでしまう。
「はな……っ、せ、ぇっ」
 ギリギリといやな音が頭蓋にひびく。額というより、顔を鷲掴んでいると言った方がいいかもしれない。指の隙間から、馬乗りになったままで、煉邦が愉快そうに唇を歪めるのが見えた。
 ガチリ、と、錆びかけた刃物の擦れ合う音が、不自由な視界の中でいやに重く響き渡る。
「煉邦。やめろ」
 喉が焼け付くほどに渇いている。
 冷や汗が出るどころじゃない。血管に氷水を流し込まれたみたいに、全身が恐ろしく冷え込んでいた。
「本気じゃないだろ」
 声が震えないようにするだけで、精一杯だ。
「クククッ」赤い舌がチロリと顔をだした。
「こうなって当然だろ? 獲物は狩られるためにいるんだぜ」
 不満足な視界でも、煉邦が俺に向かって大鋏を構えるのが鮮明に理解できる。
「さて。まずはどこだ? 腕がいいか、脚がいいか」
「どこもいやに決まってるだろっ。どけ、煉邦」
「クククク……ッ」
 くつくつ笑うだけで、煉邦の返事はない。
 苛立ちのみが募る反応だったが、すぐに、それでもマシなんだとわかってしまった。笑いを引っ込めた煉邦は、ぎとった眼差しを俺の右腕へと向けた。「決めた」
 反応を窺うように、俺の瞳を覗き込んでくる。
「まずは腕だ。剣を使えねえようしてやるよ」
「やめっ――」
 大鋏を構えた煉邦と目を見開く俺との視線が合わさる。
 瞬間的な恐怖に目を閉じかけた時、明りの灯った食堂から大勢のざわめきが零れた。
 はっとして煉邦が顔をあげる。驚いたのは俺も同じだったが、煉邦の視線が逸れるのを前にしては動けずにはおれない。空いている腕で、煉邦の胸倉をがっしり掴んで引き寄せる。
「なにッ」
 甲高い悲鳴が響いたのと、もう片方の手で大鋏を叩き落したのとは、同時だ。煉邦は即座に鋏を取り直そうとしたが、負けじと鋏を蹴り飛ばしてやった。
「このヤロウ!」
 暗闇に溶けていく白刃を見送った煉邦は、憎々しげ俺を振り返った。
 吊りあがった両眼に確かな殺意が灯る。それは、これから甚振ってやろうとか、悪戯をしかけてやろうとか、そんなものではなくて、今すぐに殺してやるといった意思を反映した輝きだった。
 チャリ、と僅かな金属音が響く。
 煉邦が袖の中に指を差し入れた途端に鳴ったので、隠し武器でも入っているのだろう。
「――ッ」鷲掴んだ顎を上向かせられると、喉元が無防備に晒される結果に……、なった!
「誰かいるのか」
 痛いくらいの緊張に身動ぎ一つできなくなった。ところで、凛とした声が響いた。
 まるで、凝り固まった大気を切り裂く大剣のようだ。草を踏みしめる音が声に続き、やがて、城方面の闇から真っ赤な着物が浮き上がる。
「青樺と煉邦じゃないか」
 あっけらかんとした声の次には、彼は、頬を引き締めたらしかった。
「……何をしてるんだ?」
 あからさまな不審が、声音に滲んでいる。
 貴沙烙の背後には部下達がいるらしく、戸惑ったような囁き声が漏れ聞こえる。
 俺は、喉の奥から悲鳴を搾り出した。
「見ての通りだ。たすけ――!」
「チッ」
 舌打ちが重なった瞬間、再びグイッと顎を鷲掴みにされた。
 痛みに喘いだ唇に、生暖かいものが触れる。
「むぅっ?!」
 ぎょっとして目を剥く内に、唇の隙間に舌が差し込まれた。
 どよめきが貴沙烙率いる一団から沸き起こる。煉邦の舌が歯列をなぞり、唇の裏を舐め上げる。かと思うと俺の舌を引っ張り出し、歯に挟んで軽く噛み付けた。
「んん……ッ」
 目を見開いて抗議をするが、口付けが荒々しさを増しただけだった。まるで、噛み付くか食い千切るかしてるみたいだ。下唇から顎にかけてをばっくりと噛まれて、不自由な悲鳴があがる。
 口付けは唐突に中断され、煉邦は、後ろの貴沙烙たちを憎たらしそうに振り仰いだ。
「邪魔するなんて、酷いんじゃねえかっ?」
 朦朧としながら瞼を持ち上げていると、貴沙烙とバチッと視線が交差した。
 頬が歪む。複雑そうに。唇の口角はたしかに上向いている。しかし、何を考えているのか、ひどく判別がつけ難い笑い方だ。そもそも笑っているかどうかが疑わしいくらいに――、よくわからない薄笑いを浮かべたままで、貴沙烙は目を細めた。
 スゥっとさせる仕草が酷薄だった。加えて、冷えた輝き。
「……これは失礼。無粋なことをした」
 そのままの顔で、貴沙烙は踵を返していった。
 彼が引き連れていた仲間たちも、何かいいたげに俺と煉邦を見比べたが、すぐに貴沙烙を追う。視界に煉邦だけが残って、やっと危機的な状況に戻ってしまったと我に返った。
「待っ……! 違うっ」
 手足をばたつかせると、煉邦は素直に俺の上からどいた。
「危なかったぜ。一応、俺はまだ青軍にいるつもりなんだからな」
「あ、危ないって――いや、それよりお前、何でいきなりあんなことを!」
 指で探ると、顎には確かな歯型が残っていた。
 煉邦はまんじりともせずに俺を睨んだが、すぐに、ニヤッと意地悪く口角を吊り上げた。何をいうわけでもなく、俺が蹴り飛ばした大鋏を拾い上げる。自然と身構えていた。
「あいつら、まだ近くにいるからな。今はやめておく」
 少年は不機嫌に辺りを見回した。
「煉邦」
「だがな、次は殺す」
 咎めるつもりで名前を呼んだのに、煉邦はそれだけを告げて、闇に紛れていった。
 草を踏みしめる音が少しだけ聞こえたが、方角を特定できるほど確かなものではない。それに、あっという間に消えてしまった。俺を取り巻く世界は、一番最初と同じように静寂を取り戻していた。
 ――かと思えば、食堂から、どっと歓声が上がる。
 貴沙烙たちと入れ替わりにやってきたのだろう。馬鹿でかい笑い声には元堅や朱緋真のものがあった。
「なんなんだよ……。チクショウ」
 薄っすらと望める食堂の漏明に、俺は、わけもなく毒づいていた。
 今の気分じゃ、騒ぎに混じれない。歯型のことも問いただされるだろう。……甘いとは、わかっているが、この件がバレれば煉邦は青軍を追い出されかねない。静かに胸に留めておいたほうがいい。
 けれども。あの鋭い男が、 しかもやたらと俺をからかうタネには敏感な男が、見過ごしてくれるとは思えなかった。小走りで彼らが去ったほうに向かいながら、叫んだ。まだ顎がジンジンとしている。
「貴沙烙、待てってば。俺の話も聞けよ!」

 

end.

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