三者は涼む
「ふあ。眠い」
あくびを噛み殺してうめくと、右隣の青年が含み笑いを零した。
「キチンと寝ないと、体が持たないぞ」
「わかってるよ。でも、そういう貴沙烙だって酒を飲みすぎてないか?」
「これはいいんだ。頭の回転を良くするための、クスリみたいなもんだからな」
杯を傾けて、中の液体を揺さぶり、くいっと一息で煽る。満足そうな微笑が、唇の端に乗っていた。
「よくやるぜ」
左隣の少年が、呆れた呻き声を立てる。
貴沙烙はフンと鼻を鳴らした。
「お子様には、この美味さがわからないんだな」
「へん。俺、ダメ人間にはなりたくねぇもん」
朝食の白湯を咥内に流し込みながら、白い歯を光らせる。
木陰で飯を済ます俺達から、少し離れたところで、元堅たちの笑い声が聞こえた。
「朱緋真。ああいうのものこそ、ダメ人間といって欲しいな」
皮肉めいた口調で、一団を顎で示す。俺は乾いた笑いしか返せなかった。
元堅たちの中心にいるのは藍厘で、彼が鈴のような笑い声を立てるたびに、皆の頬が緩んでいた。
「すっかりアイドルだなぁ」
「それだけで済めばいいがな」
かけらの邪気もなく呟く朱緋真と違って、貴沙烙の呟きには、どこか妖しい響きがあった。
「無意識に部下をたぶらかしてもらっては困る」
ニヤニヤ笑う彼の目線は、一団に混じる昔馴染みの部下へと向けられていた。確かあいつは、貴沙烙と初めて会った時から、既に貴沙烙と共に居た筈だ。
「ロリコンの気があるとは知らなんだ」
意地悪い微笑を崩さずに、ニヤける部下を見つめる貴沙烙は、とても冷えた瞳をしていた。
「貴沙烙は興味がないのか?」
「ん? 俺か。興味はあるが、この熱さの下で、馬鹿どもに混じって誘惑する気にはなれないな」
「誘惑とかいうなよ」
げっそりして呟くのは、朱緋真だ。
「朱緋真は、あそこにいそうなのにな」
「昨日の戦は炎天下だったろ? 火傷が酷くてさ。もうこれ以上、日に当たりたくないや」
はは、と笑っていると、貴沙烙が意味ありげに俺を見つめているのに気がついた。
「青樺は?」
首を傾げて、すっと頬に手を伸ばしてくる。
辿り着く前に叩き落とし、緩く首を振った。
「そういうことはやめろって」
「俺が恋しくてついて来たか?」
「馬鹿か。こうも熱くて、木から出る気がしないだけだ」
「ほお。なるほど」
納得してみせる貴沙烙だが、口調は、納得していないと訴えていた。
「…………」
半眼で睨むけれど貴沙烙はわざとこちらを振り向かない。
なので、俺は無言で白湯を掬い取り、口に運んだ。食器の触れ合う音が木陰に響きあう。朱緋真の鼻歌は奇妙な節を取っていて、そのせいで貴沙烙は顔を顰めていたが、当の本人が気付かない。
「ごちそーさんっ」
朱緋真は、叫んで食器を地面に叩きつけた。
「割れるぞ」
「食べ物の器を、地面に置くのは感心しないな」
呆れた物言いも、少年にはどこ吹く風だった。ぺろりと舌を出し、食器を抱えて食堂へと走り去っていく。貴沙烙が、フゥ、とあからさまなため息をついた。
「無粋なやつだ。――が、気を利かせたなら素晴らしい奴だと訂正してやってもいい」
「えっ? ちょ、ちょっと。貴沙烙」
背中から伸びた腕が、しっかと肩口を掴んで放さない。軽く身動ぎをした程度じゃ振り切れそうにない。俺の腕は、貴沙烙の体へと伸びた。思い切り腕を突っぱねようとするが、なかなか、離れない。
「暑いだろ。やめろよ」
「どうしてだ?」
突っぱねていた腕が、掬い取られる。
え、と思う間もなく貴沙烙の唇が耳たぶに押し当てられた。
「夜のおまえは、一生懸命に俺にしがみつくじゃないか。離そうとしても離してくれないし、情熱的な抱擁をしてくる一方だ」
「き、貴沙烙!!」
もがく俺を抱き込みながら、貴沙烙は含み笑いと共に耳に息を吹き込んでくる。熱と氷を同時に持った何かが、背筋を素早く駆け抜けて、体が竦んでしまった。
「どうした? 震えたな」
「なっ。ち、違うっ。変な意味はない」
「変な意味? 俺は事実を言っただけだぞ。一体、どんな意味があったというのだ?」
「なっ、な、ななな」
そうだ、貴沙烙とはこういう奴だった。
絶句してしまって身動きが取れずにいると、それを好機とみたのか、服の隙間から冷たい指先が潜り込んでくる。地肌を撫でられる感触に、ぶるっと体が戦慄いた。
「ば……ッ」声をあげかけるけれど、貴沙烙にギュウと強く抱かれて、声すらも彼に吸い込まれてしまう。体中が発熱をしているみたいだ。霞みかけた視界のなか、遠くに食堂の入り口が見える。そこから一人の少年が飛び出た。赤い衣の彼は、まっすぐ、こちらに……――。
「――――馬鹿!!」
渾身の力で貴沙烙を殴り倒した頃に、朱緋真は日陰に戻ってきた。
「おかわりまだあったぜ!」
陽気に微笑みながら、先ほどと同じ位置に腰を下ろす。
地面に這いつくばっている貴沙烙を見て、朱緋真は変な顔をしてみせた。
「なにやってんだ?」
「う、上から虫が落ちてきて、びっくりしたんだよ」
かなり情けない言い訳だったが、納得してくれたようだ。
「ふうん。自然に親しみ慣れてないのか?」
「貴沙烙は貴族だしなあっ。はは、はははは」
声が乾いていた。
ゆっくりと体を起こした貴沙烙と、目が合う。
静かな怒りを称えた瞳は、物言いたげにしばらく俺を見つめていた。が、
「やはり無粋な奴だ」
朱緋真に視線をやり、貴沙烙はそんなぼやきを零してみせた。
end.
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