二匹の絆






 真横の土が抉れて、その時になって初めてコノエは頭上を見た。
 すぐ近くまで迫っている。脂汗が背中に滲む。二匹の猫に蹴り上げられて、無数の木の葉が辺りを飛び交っていた。
「――――……」
 呼吸が止まった。
 不意に、自分自身がブレたような振動がやってくる。
 そのころに、ようやく両手を握り締めた。呆けている場面ではない。額の真ん中に意識を集中させた。イメージするのは、白い錦糸が収束していく様子だ――、一匹の猫を目掛けて。
(ライに力を!)
 ぶわ、と、風が沸き立った。
 前髪と言わずマントと言わず、はたはたと音を立てて暴れまわる。
 ギィンッッ!! 一際高い金属音が森中に木霊した。
 再び、今度は左側の土が抉れる。相手の猫が、地面に降り立つなり飛び跳ねたのだ。間をおかずに、二つ目のザンッ。土を斬るような音を立てて、二匹目の猫が降りてきた。
 白銀の髪を逆立てて、猫は薄い青目でコノエを振り返る。
 コノエは頷いた。両目を閉じ、腕を広げる。
 相手を信じ、想うことが闘牙の力になる。ライの二歩目は強烈だった。先ほどの、落下の衝撃と合わせたものより大きく深く大地を抉り取る。
「はあぁぁぁあッ!」
 鋭く吼えると同時、悲鳴が弾けた。
 相手の賛牙のものだ。コノエは、うたうのをやめた。
「勝負あったな」
 陽だまりの真ん中で、白猫が誇らしげに呟いた。
「お前たちの負けだ」
 すいと長剣を引かせる。
 左手の短剣は、猫の顔面に突きつけたままだ。
 薄っすらと赤い線が猫の頬から流れだす。ライの瞳は妖しげな色を灯してそれを見つめた。
「……大人しく同行してもらおう。罪を償うんだな」
「ち、畜生っ。アンタら何者だ?!」
 相手の賛牙は、肌も髪も服も全てが真っ黒の子猫だった。
 闘牙は、子猫と揃いの服を着たガタイのよい大型種だ。ライよりも一回り大きい。だが、勝負が決し、闘牙は膝をついているのでコノエにはライの背中の方が遥かに大きく見えていた。
 どこか喜喜とした声でライが告げる。
「運がなかったな、別のものを張ってる途中で引っかかったぞ、お前ら」
「薄汚い賞金稼ぎどもが……ッ。死んじまえ!」
 子猫が威嚇に喉を鳴らす。コノエは、額の汗を拭った。
 その両眼に翳りが浮かぶ。問いかけるように、恐る恐るとライに声をかけた。
「ライ。大丈夫か」
「……ああ」
 肩越しに薄い色の瞳が振りかえる。
 その色に、コノエは安堵の息を吐き出した。
 リークスの一件から一年が過ぎた。ライの、狂気の発作は一時期ほどの頻度ではなくなったが、だが、彼が血に見入る瞬間を見つけるとコノエは生きた心地がしない。
 それならいい。
 低く呟いて、コノエはライに並んだ。
「どうするんだ。藍閃に戻るまで三日はかかる」
 それに、と、付け足した。この猫二匹は、藍閃の商人を襲った盗賊だが、つがいが特徴というだけでそれほど高額な賞金はかかっていない。恐らく、並みの賞金稼ぎならば、コストの割りにはリスクが高い仕事として敬遠するだろう二人組みだ。
 歯軋りする二匹の猫を冷ややかに見つめつつ、ライは鼻を鳴らした。
「言っとらんな。藍閃まで戻るとは」
「逃がすのか?」
 コノエの声音が驚く。
 白猫は首を振った。今度は、コノエの声音は強張った。
「まさか殺していくつもりか。そういう、通り魔みたいなのは止めろって言ってるだろ」
「お前はどうしたいんだ?」
 いささか面倒臭そうに、ライ。
 二匹の視線がコノエへと集中する。
 ウッ。口ごもったが、沈黙の末にコノエは呟いた。
「……改心するなら逃がしてもいい」
「何言ってんのっ?!」
「アホかテメー」
「……馬鹿猫が」
 三匹の声がぴたりと合った。
 僅かに耳を下げたが、しかし、コノエの唇が尖る。
「うるさい! どっちかだ。ここで悪さをしないと誓うか、ライに……痛めつけられるか!」
「それだと俺に妙な趣味があるようだが?」
「あながち間違いじゃないだろ!」
 大声で返して、コノエは闘牙と賛牙へと向き直る。
「さあ。選ぶんだ。どっちにする」
 大猫と子猫は、素早く互いの瞳を見つめた。
 コノエの尾が僅かに振れる。二匹の猫のあいだに、確かな絆があった。闘牙と賛牙とのあいだにある固く強かな絆だ。猫たちは、改心を選んだ。次に罪状が増えたら、その時は覚悟をしろとコノエが告げる。すると、ライは短剣を鞘に収めた。深々とため息が地面に落ちる。
 コノエは、付近にある村の名前を告げた。
 今はどうなっているか知らない。
 だが、一年と少し前には――、猫たちが住んでいた。
 生活用品も、何もかもがそっくり残っているはずだ。その猫たちは、リークスのうたによって一瞬に生ける屍と変えられたのでまるで唐突に猫たちが行方知れずになったように見えるはずだ。
「行き場所がないなら、そこに行ってみてくれ。空いている住処を見つけることもできるだろう……、何かの宛てになればいいな」
 俯きがちで囁くが、終わらない内に大猫が踵を返した。
 最後まで聞いたのは子猫の方だ。呆れたような、畏怖するような目をしてコノエを見上げる。チラッと、素早く一度だけライを見上げた。
「アンタら、変な賞金稼ぎだな」
 短く囁いて、大猫の後に続く。
 猫たちが消えた森の一角をしばらく見つめて、二匹は黙り込んだ。
 というよりも、コノエはライが何も言わないので動けないと言った方が正しい。ライは、闘牙が膝を折っていた場所に眼差しを移して顰め面を浮かべた。
「なんだよ。どっちにしろはした金だったろ。アンタ未練なんてもたないクセに」
「当たり前だ。だが、お前は本当に始末に終えんな」
「……馬鹿だって言いたいのか」
 頷いて、ライは道を引き返した。
「どうせすぐに盗人家業に戻るぞ。お前は忘れているようだが、あの二匹の罪状には猫殺しもあっただろう。馬車の従者が一人、斬られている」
「俺がその場にいたわけじゃない。詳しいことはわからないけど、一回くらいは機会をもらってもいいだろ」
「楽天的だな」
 ざっくりとした一言が、ライの感想の全てだ。
 それきりでライは言葉少なになった。賞金首を探して森に入ってから四日が経とうとしている。さすがのライも、違う場所を張ろうかと言い出したところだ。
 地図を広げて、賞金首の居所を検討し始めたときにライが猫を見つけたのだ。
 巨大な梢の下には、荷物と地図とが転がっていた。白猫はどさりと腰を降ろす。地図の前ではない上に、コノエの腕を掴んだ上でだった。
「なっ?!」
 落ちた先がライの足の上で、理解するなり、コノエは牙を剥いた。
「何すんだよ、……ッ?!」
「静かにしてろ。少しだけだ」
「ライッ?」
 首筋に鼻筋が押し付けられる。
 うなじには吐息を感じて、コノエは焦って眉根を寄せた。
「おい、昼間からどういうつもりだっ」
 胸の前にライの両腕が回りこむ。
 ぎゅうとされて、息がつまった。加減はあったが、それでも苦しいと感じるくらいの力だ。尾をばたつかせて、コノエは懸命に背中を丸めようとした。ライの腕は微動だにせず、思うように身体が動かせない。
「っ?!」
 首筋に温いものを覚えて、総毛立つ。
「お前はそういうつもりなのか? なら、相手してやってもいいが」
「ば……っ、馬鹿かよ、アンタ!」
「聞き捨てならんな」
 薄いため息。
 コノエは訝しげに背後を振り返ろうとした。
 いつもより力がない呻き声だったように感じたのだ。だが、白猫は首筋に顔を埋めているため表情が隠れている。思い当たることがあって、コノエの声音が緊張した。
「アンタ、まさか……。大丈夫なのか。血が?」
「…………」
(衝動が収まってないのか)
 ライの腕からいよいよ手加減がなくなる。
 骨が軋みだした。尾を振わせつつも、コノエがうめく。
「離せよ。こんなことしなくても、俺は」
「構わんでいい。少し付き合っていろ」
「それっ……、矛盾してないか?!」
 締め付けの痛みもあって、コノエの怒鳴り声はほとんど怒りの怒鳴り声となっていた。と、ふさりとしたものがコノエの尾に振れる。ライの尾だ。
「…………っっ」
(卑怯だアンタは。つくづく卑怯だ!)
 白い尾は、コノエの尾にゆっくりと絡まろうとする。苦々しい思いで見下ろして、コノエは歯噛みした。みしっと音を立てる全身の骨には気付かないフリをして、ため息を吐き出す。
「せめて力抜けよ。痛いだろ」
「馬鹿猫が命令か?」
「違う」
 うっすらと笑みを零して、コノエがうめく。
 時折り、ライを子供のようだと感じることがある。今がまさにそんな気分だ。ライの尾が動きを止めたが、やがて再び動きだして、しっかりとコノエの尾と自らとを結びつけた。
 相反するように、ライの腕から力が抜けた。
 タイミングを見て、コノエはライを振り返った。
 疲労の滲んだ顔がある。幹に背中を押し付けて、ライは浅い呼吸を繰り返していた。
「目が疼くのか」
「直に収まる。気にするな」
「いやだ。昼飯の残りがあるから、少し齧るか。気が紛れるかもしれない」
「…………気にするなと言っている」
「いやだって言ってるだろ」
 薄い青の瞳が不快に歪む。
 だが、譲る気もなくコノエは荷物の解体を始めた。
 クィムを渡すと、ライは苦悶に眉を寄せたままでしばらくぼうっとした。やがて、牙を見せて齧りだす。コノエも残りのクィムを齧った。おやつ代わりだ。
 二つ目のクィムは受け取らず、ライは深々と息を吐いた。
「…………」と、コノエの胸中に先ほどの二匹が蘇る。闘牙と賛牙の絆。あの二匹には、それがあった。彼らに情をかけたのは、その絆を信じたいと思ったからだとわかっていた。
「……ライ。つらいのか」
 青い瞳を覗き込むと、驚いたように丸みを帯びた。
 コノエは背筋を伸ばす。ライを下から覗き込んだ姿勢のままなので、顔面が伸び上がってそのまま唇を押し付けた。眼帯の向こうに何か固いものがある。
「…………!」
 ライは、時が経つにつれて驚きを潜めていった。
 せり上がった肩が下がる。最初と同じように、幹に体重を預けて、深々とため息をついた。吐き出された息が、今度はコノエの襟首をくすぐる。
「まあ、真昼からの休憩もいいかもしれんな」
「えっ?」
「誘ったのはお前だ」
「……はっ?!」
 ライの右手がコノエの顎を攫う。
 いきなり上唇に噛み付いて、それから確認するように互いの唇を重ねた。
(んなっ……!!)両目をぐるぐると回しながら、コノエが後退る。ライが強く片腕を引っ張った。バランスを崩して、横に転がった体の上に素早くライが跨った。
「な、何考えてんだアンタ!」
「お前もな。昼間から何をさせたいんだ?」
「お、俺のせいにする気か」
 愕然として、やや間を置いて怒りがせり上がる。
 だが、構ってるヒマはなかった。ライが手早く自らのマントを外し、コノエの服に手をかけてきた。
「馬鹿っ。冗談じゃな――」
「ほお。馬鹿猫が何を言うか」
「ひゃっ?!」
 びくんと腰が跳ねた。
 慌てて見上げれば、ライがコノエの尾を舐めていた。
 毛づくろいによく似ている。ぺろ、と、舐めとりながら毛の流れを整える。だが地肌を掻き回すような動きは、ただの親愛の毛づくろいならば決して行わない動作だ。
「…………っっ!!」
「行き先は明日決めなおす」
 有無を言わせない口調だった。片手で地図を畳み、解体しかけたコノエの荷物の中に突き入れるとライは口角を引き上げる。人の悪い笑みだ。コノエは、ぞうっとしながらも尾の先から沸き起こった甘美な波に眉根をすり寄せた。
 月。陽の月が、まだ高いところにあるというのに。
 羞恥に頬を染めていく猫に、白猫が愉しげな含み笑いを降りかけた。



end

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