うたさぐり






「知らん」
 ようやっと口を開いたと思えば、この言葉だ。
 薄茶の毛並みに白を混ぜた猫は、尻尾をゆらりと動かして嘆息をついた。
「アンタなぁ。いい加減にしろよ」
「知らんと言っている。行きたければ勝手に行け」
 テーブルに片肘をついたまま、体を半分だけコノエに向き直らせている。ライの左目は研ぎ澄ませたナイフのような輝きを浮かべていて、僅かにコノエは息を飲み込んだ。
 リークスの一件が終わり、虚ろと失躯がなりを潜めてから一年が過ぎた。
 賞金稼ぎとして生きることにもようやっと馴れてきた頃だ。コノエにとって、友人と呼べるような猫はトキノやアサトなどの数名しかいなかった。事情が事情だ、悪魔たちやリークスのことを知っているのは彼らしかいないので、必然的にコノエが心を許す猫は限られてくる。
 目の前の白猫は、コノエが最も親しくしている猫だ。
 高圧的で、どんな時でも誰が相手でも不遜な態度を崩さない。その分、腕は確かだ。つがいを得た今では向かうところに敵なしの印象すらある。
 ライがグラスを鷲掴みにする。
 ぐいっと中身を煽るのを見守ってから、コノエは苦渋の呻き声をあげた。
「……アサトが困ってる。俺は、行きたいんだ」
 薄青の瞳が細くなる。
 藍閃にある料理屋だ、安いところで隣席との距離が短い。
 窮屈そうにコノエは尾を揺らした。物理的にも精神的にもくるものがある。ライは、もはや無表情になっていて何を考えているのか押し図ることすらできなかった。
「つがいには、つがいがいないと対抗できない。アンタならわかるだろ」
「…………知らんな」
「ライ」
 非難の意思を込めて、コノエ。
 白銀の猫はあからさまに聞こえないフリをした。
 明後日を向いて、テーブルに並べられた鳥肉を突付きだす。
「アイツの問題だ。どうしてお前に関係がある」
「友達だ。それに、アサトが追われてるのは俺にも責任がある。助けたいんだ」
「…………」じろり。眼球だけが移動して、コノエを睨みつけた。
「言っとくけど、バルドが自分から喋ったわけじゃないぞ。様子がおかしいから、俺から聞いたんだ」
「あの猫、余計な真似を」
「ライ!」
 先程よりも語尾を荒くする。
 腹立たしげにライが舌打ちをした。
「あの馬鹿猫にうたをうたう気か? お前が?」
「そうだ。アサトをみすみす吉良に殺させるわけにはいかない!」
 街を通り抜ける前に、バルドの宿に寄ったのは正解だった。
 バルドは深刻な面持ちでアサトの苦境を告げた。
 アサトは一昨日に手紙を届けにきて、そのときには満身創痍の様子だったという。つがいに追われている、と、ようやく聞き出した言葉がそれだとバルドは言った。アサトはバルドの宿に泊まっている。
 だが、昨日の夜からアサトは消えているという。部屋には争った後があり、後には、広げたままのアサトの荷物と割れた窓とが残った。
 装備を整えるために街に戻ったばかりだが――、コノエには、賞金首を探すよりもアサトを手助けするほうが重要に思えてならなかった。
「最近、わかってきたんだ……。うたは、呼ぶこともできる。俺がアサトを想ってうたえば、多分、アサトに届く。だから居場所はわかると思うんだ」
「…………それで?」
 至極つまらなさそうに吐き捨てて、ライが振りかえる。
 冷え冷えとした双眸には怒りすら滲みだしていた。思わず固唾を呑んでいたが、コノエの心中にも怒りが滲みだしている。この分からずや。胸中で怒鳴ってから、コノエは青い瞳を睨み返した。
「森に戻るならアンタ一人にしてくれ。俺はしばらく藍閃にいるから」
「賛牙をおいていけというのか? 闘牙に?」
「今度の賞金首はちょろいだろ。アンタ一人で大丈夫だ」
「…………」
 かすかに、ライが唸る。
 その左目は怨めしげな色さえ見せつつあった。
「お前は俺よりアサトの方が大事なのか?」
「そういうわけじゃない!」
「そういうわけだろう。馬鹿猫が」
「あのなぁ。いい加減にしろって言ってるだろ!」
 ダンッ! テーブルを叩いて立ち上がると、ライも同じようにしてイスを蹴った。
 ガダガダッ! と、コノエのそれよりも遥かに大きな音が立つ。真正面からコノエと向き合っていた。そうなると身長差が浮き彫りになり、コノエは奥歯をかみ締めた。
 ライは、相手にとって威圧的と感じるような行動ばかりをする。意識してやっているのか、無意識のうちにやっているのか。ライの性格ならどちらもありえそうで、コノエは未だに確認したことがなかった。
「……なんだよ。殴られても俺はここに残る」
 ひくりとライの眉根が跳ねる。
 胃の底から黒いモヤが湧き上がるようだ。奇妙な不快感で尾の先がちりちりとする。コノエは、窮屈な店内へと視線を走らせた。猫たちが物珍しげに二匹に眼差しを注いでいる。
「それじゃあ。合流は、」
 居た堪れない。
 踵を返しかけて、コノエは呼吸を止めた。
 ライと離れる。勢いで喋っている面もあったが、いざ、そう意識すると心臓がドキリとした。そんなことは、リークスとの決戦以来なかった……かも、しれない。
「……明日の夜で。バルドの宿で待ってる」
 アサトが相手にしている吉良のつがいが、どの程度の強さかは知らない。
 けれど一日で終わらせようとコノエは決意した。それくらいなら、ライと離れることにも耐えられると思った。白猫はテーブルに両手をついたまま、無表情な眼差しをコノエの横顔に注いでいた。
「お前、本気か」
 声音だけは、はっきりと怒っていた。
「当たり前だ。ついでにアサトと思い出話でもしてくるよ。じゃあな」
 若干、後悔が募る。だが今更に引くことなどできない。それに、アサトの生死なんて本気でどうでもよさそうなライの態度が気に喰わないし怒りを感じるのも事実である。
 コノエは、後ろ髪を胸の前へと持ってきた。伸びてきたので、最近は一つに束ねている。……三つ網でも編もうかと、そんなことを考え始めてきたところだ。
 ライに背を向ける。そうしたら、歩き出さねばならない。
「…………」背後の猫が引き止める気配はない。
 すうっと目を細めて――それは、切なげな仕草だった――、コノエは一歩を踏み出した。
 二歩。三歩。四歩、五歩。ああもう引き止められることはないな。コノエは確信した。
 僅かに落胆のため息を吐き出す。吐き終えたころには、気を引き締めなおしていた。これからアサトを探すのだ。ということは、見つかるまでうたい続けるということ。
 どれほど精神的な疲労を負うかは検討がつかない。
「馬鹿猫」
 料理屋を出る直前に、声が聞こえた。
 次いで、テーブルを殴ったような酷い音。
「主人、勘定はこれでいいな」吼えるような声だった。
 腹立たしくて仕方がないというように、気迫に満ちたもので、主人のものと思しき声が掠れながらも必死で相槌を返していた。振り返り、そこで右の上腕を掴まれたことに気がつく。
 つむじ風のように素早い動きだ。
 コノエが唖然としている間に、鼻先にライの顔が迫っていた。
「あの猫にお前のうたを聞かせる必要はない。お前はどうしようもない馬鹿猫だ。ついてこい」
「なっ……、いきなり、何だよ」
「どうやって藍閃中にうたを響かせる。それにアサトは森に入ったかもしれんぞ」
 最もだ。喉をつまらせつつも、コノエがうめく。
「じゃあ、どうするんだよ。アサトを見捨てるなんて絶対イヤだからな」
「……見捨てろ、と、言いたいところだが聞かんのだろう。お前はどうしようもない跳ねっ返りだからな。いいか、あの馬鹿猫は街中で騒ぎを起こしているだろう。なら、街の警備と情報屋を当たっていけばいい。恐らく目撃されているはずだ」
 淀みなくスラスラとでてくる言葉にコノエは驚いた。
 思いもよらなかった選択肢だ。まじまじとライを見上げてしまう。
 白猫はため息をついた。あからさまに呆れた素振りで、眉間を皺寄せる。酒場をでて表通りにでたところで、ライの横顔に日が差した。
「信じられんな……。少しは冷静な判断ができないと死ぬぞ」
「……なんだよ。うたうのも、いい案じゃないか」
 不服げにコノエが耳を立てる。
 ライはあからさまに嫌な顔をした。
「だから、お前のうたを俺以外に聞かせるなと言ってるんだ。そんなこともわからないのか」
「…………」耳が、ピンとする余りに僅かに反った。コノエは咄嗟にライの白い尾を見下ろしたが、それは真っ直ぐとしていて動揺の欠片もない。
「アンタ……、それって」
「なんだ。照れるか」
「そんなじゃない」
「恐らくお前の考えてる通りの意味だ。文句があるのか?」
 ここまで堂々とできると、反論などしようがない。
 コノエは無意識のうちに尾を揺らしていた。歩調を乱して、何もない道だというのに躓きかけてしまう。それを見て、ライが手を貸した。
「しっかり歩け。前を見ろ」
「……っ、でもな。日が暮れる前に見つからなかったら、やっぱりうたうからな」
「倒れるぞ」
 短く、突き放すようにライが言う。
 コノエは頷いた。眼差しはしっかりとライを見返す。
「それでもいい。アサトのためだ」
 ライの左目は不快を示して輪郭を歪めた。
 何か、考えるように陽の月を睨む。数瞬の間を置いて、頷くように顎を引いた。
「さっさと情報を集めるぞ。お前にはうたわせん」
 頷き返しながら、コノエは脳裏でささやいた。
 闘牙にこんなことを言われる賛牙というのは貴重に違いない。そして、そんなことを言われて嬉しく感じたのも今が初めてだ。ライが自ら自分以外の猫のために――結果的に、ほとんど関係がない猫のために動こうとしているのも、その猫がアサトだというのだから嬉しく思わないわけがない。
 藍閃の警備棟を尋ねる直前に、コノエは興味半分でライに声をかけた。
「今度、アサトと三人でご飯食べてみるか?」
「……ごめんだな」
 氷がごとくな白眼視が返ってくる。薄く笑い返して、コノエは「そうか」といって頷いた。はなから良い返事が返ってくるとは思っていなかった。



end

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