喜悦のゆくさき






 剣の一撃が、重い。
 この猫の実力を今更ながらに思い知る。
 勝てるわけがない。命を振り絞ったところで、苦しみが増すだけだ。それでも、約束がある。果たさないといけない約束がある。
「……ッァアアア!」
 刃に片手を添える。ギチッ、と、食い込む感触がした。
 白銀の彼は、その半身を真赤に染めていた。悪魔の硬質の尾は、元から色が黒いので赤との見分けがつかない。だが、ぽとりぽとりと滴るものがある。その血は猫のものではない。
 虚ろに浸蝕され、闇に覆われたこの世界は猫ではない異種族のものとなっていた。
 今まで化け物と呼ばれてきた生き物が、実質、この世界の覇権を握ったのだ。それがリークスの望みだったのか、はたまた闇がリークスをそそのかしたのかは今では確認する術がない。わからなくてもよかった。知りたいとは、思わなかった。
(これじゃ駄目だ。まだ殺せない)
 目前に聳える悪魔は、悠々としながら長剣を受け止めていた。
 ――短剣で。軽々と。圧倒的な力差だ。もう片手で握られた長剣は、今しがた絶命したばかりの化け物の首を刺し貫いていた。それを抜く前に、不意打ちのつもりで飛び掛ったのだ。
 リークスとの決戦以来、彼との勝負は続いている。
 この世が完全な闇に覆われてからも続いている。
 化け物の群れは、既に悪魔が大半を殺していた。ちょっとした集落だ、猫たちが使っていた村を改造して住み着いているのだ。昔の、この世界が豹変する前と比べると村を包み込む色彩はずっと鮮やかで――そうしながらも暗い。猫ほどの大きさがある花弁が、威嚇するように羽ばたいた。この世界では意思ある植物もある。
「――――」
 悪魔が顔をあげる。
 空から降り注いだ花の蜜。
 触れれば溶ける硫酸のしずくが足元に落ちる。
 かつて、顔の半分を覆っていた眼帯はない。両目の上に傷痕がある。端正な顔は真っ白い。悪魔の角を分断するつもりで、両腕にさらなる力を込めた。
「アァアアアアぁっっ!!」
 ぶじゅっ。手のひらに刃が食い込む。
 壁のように立ちはだかっていた短剣が、すっと後ろに引いた。
「?!」長剣が地面へと食い込む。切っ先を取り出す前に、襟首を掴まれた。
「ぐっ?!」
「コノエ。見ていろ」
 すい、と、手が伸びて喉元を鷲掴みにされる。
 悪魔が薄く笑っていた。両目をぎらぎらとさせて、喜悦に歯を剥き出している。何、と、うめく前に――右足に激痛がほとばしった。
「うわぁああああっっ?!」
 見れば、短剣によって足を地面に縫い付けられていた。
 虚ろによって一変した腐った大地。歯軋りして、花に向けて剣を構える悪魔の背中を睨みつける。
「ライィ……!」
 クッ。浅い嘲笑が濁って聞こえる。
 同時にライが跳躍した。白銀の髪がたなびく。
 染み付いていた浅黒い血が、バッと風に揺さぶられて抜け落ちた。輝くような白は、この虚ろに満ちた世界では異様な色とうつる。この闇の世界においても、やはり、悪魔は異質の存在だった――もちろん、それは俺自身にも言えることだった。俺は、もう、猫じゃない。耳も尾もない。頭の両側に、よくわからない丸みを帯びた皮がついた。でも、柔らかい骨は入っているようで、これのおかげで聴覚が保てている。俺は、何も持たない異質の悪魔だった。
「ぐうっ……」
 震える手のひらで、足を縫いとめる短剣を取り上げる。
 ぶしっと飛沫があがった。赤い血。膝が笑いだすくらいの痛みが右足から立ち昇る。
 だが、これでも動けるはずだ。ライには幾度となく闇の力を注ぎ込まれた。今の『コノエ』はそれで生きている。――心臓も、生きているから鼓動しているのではなくて、闇の力によって強引に鼓動を刻まれているのだ。ライの喜悦のためだけに生かされている身といえる。
「ライ。待て。ライ!!」
 もし、狂ったなら。
 俺がライを殺すと約束した。かつて、猫だった頃に。
 走る度に足から血が吹き上がる。剣を横に構えたままで、ライの背中に切りかかった。だが、ライは上体を捻るだけでかわしてしまう。
「あぐう!」
 強烈な一撃が脇腹に入る。
 尾だ。悪魔の尾が、抉るように腹の上を過ぎった。
「見ていろと言っただろう。馬鹿者が」
 低い声が嘲笑う。その片手は、硫酸交じりの花びらを毟り取っていた。
 斬りつけられた花弁は血を流す。虚ろに犯された世界は、可笑しい。狂っている。――その狂気を、誰も視認できなければそれは狂気ではなく日常となる。これが、今の日常だった。
 じゅうじゅうと手のひらから吹き上げる煙も構わずに、ライは最後の花弁を毟り取った。
「苦しいか。つらいか。死にたいか?」
 ライの唇は高々と吊り上げられて、刃を覗かせていた。
 ぞうっとくるような、地の底を這いずるような声で花に語っていた。
「化け物の花でも痛覚はあるのか。流れ込んでくるぞ。死を今日する貴様の意思がな!」
 刃がきらめく。花の茎を一太刀で切り捨てると、そのままライは哄笑をあげた。肩越しに振り返ってきた狂気の塊に、ギクリと身体が縮まる。
 ふっと笑ったように見えた。
 そうしながらライは一足で距離をつめ、硫酸混じりの花弁を押し付けてきた。
「…………っっ!?」
 じゅわっとした痛みが胸に広がる。
 両手で、じゅうじゅうと煙をあげながらライが笑っていた。
「コノエ。俺のつがいよ。殺戮と暴虐を共に味わってみるか」
「だ、れ、が……!!」
 牙を食い縛る。剣はまだ手にある。
 渾身の力で肘を折るが、振り被る前にライに叩き落された。
 仕置きだと言わんばかりに、貫かれたばかりの右足を踏みつけてくる。無くしたはずの耳と尾が奮い立つくらいの激痛だった。背筋が張りつめる。
 苦悶する俺を楽しむかのように、ライは舌なめずりをした。
「……ならば、待っていろ。また闇の力を与えてやろう。快楽を叩き込んでやる」
 剣を握る手にライが指を絡めてくる。何をする気か――、
 疑問には、痛みが答えた。腐った大地の香り、腐臭が鼻をつく。そうした途端に、左肩に激痛が走った。どこからこんな声がでるのか、自分でもわからないくらいの酷い悲鳴が喉から溢れ出る。ライは、愉しげに自らの上唇を舐めた。その背後から、村を襲撃されて怒り狂う化け物どもが襲い掛かってくる。
「……ぐっ」
 吐血を繰り返していた。
 肩を自分の長剣が貫いている。痛い。苦しい。
 でも死ねない。死なない。身体がそうなっているとも言える、けれど、それよりも気持ちが抗いを続けている。俺はまだライを殺してないのだから。だから、死ねない。
 ギィンッ。金属質の音が響く。生き物のものとは思えないような悲鳴が響く。
 喜悦の悪魔が、その名の通りに蠢く生き物を喜喜として切り刻んでいた。一太刀でほとんど相手の身体のどこかを切り落としている。嬲るように、羽根を毟り取るように殺していく。このスタンスは、かつてのライならば絶対にしなかった。
 殺すこと、狩ることが愉しくて仕方がないのだ。ライを見ていればわかる。
「ぁっ、ああ、うぐぅ……!!」
 震える両手を刃に添える。切れた感触がする。
 ライが戻ってくる前に抜け出さなければならない。
 彼は強い。弱い他者を許さない性格は元からあったが、それに、殺しの衝動が合わさって敗者への仕打ちは壮絶を極める。また、……どこかに隠れて、ライを殺す機会を狙わなければ。
 ようやっと抜き終えたころには、両手は血だらけになって顔中が脂汗で濡れていた。ぜえ、はあ、と肩で息をする。聞こえたのは、冷気を含んだザラついた声音だった。
「おい。どこにいく気だ?」
 屍の群れの上で、悪魔が立っていた。悠々と長剣をぶら下げている。
「賛牙が闘牙を置いて逃げる気か。関心できんな」
「…………ライ」
 瞼に隠されたはずの双眸に射抜かれる。
 こうなると。こうなると、自分は背中を向けることなどできない。
 いつも真っ直ぐ前を見て、凛々しく佇んでいた彼の姿が脳裏に過ぎる。
 約束を果たさないといけない。ライのために。自分が向かっていくことが、今のライの望みだ。
 だから、足が見えない刃で縫いとめられた気分になる。右足と肩、貫かれた傷痕が赤い涙を流しつづけている。今までに与えられた傷口は、治癒したものを含めてしまうと全身に無数に広がるが。その一つ一つが、じくじくと気が狂うほどの痛みを訴える。双眸が、痛い。そこから心臓を切り裂こうとするかのようだ。
「どうしてやろうか……? コノエ。久しぶりだな。俺を放っておいた報いも与えてやらねばな」
 ライを倒す為だ。そのために、辻斬りまがいに出会う化け物どもを殺してきた。
 修練を積んでいるのか、それとも狂気を積み上げて傷口を広げているだけなのかはよくわからない。時には、負けることもあったが、俺の身体は死なないので時間が経てば回復する。
 ライは、反応がないことを不服としたようだった。
「そうだな。来い、コノエ」
 残酷に、ニィッと唇がめくれあがった。
「今日は特別だ。痛みと快楽のなかで犯し尽くしてやろう」
 悪魔は両手で剣を持った。ライがそうした手つきをすることは珍しい。同じように、剣を構えながらライを睨みつけた。ライと一緒だ。俺とライは一緒だ。そう思うことだけが、俺の救いになる。
「……今日こそ、アンタを殺す……!」
 脂汗が、濁流になって顎を伝っていた。
 この世界の空は暗い。いや、黒い。雲がなくても、晴れることなど一度もない。



end

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** さりげなくバッドエンドもすきです。