おくりもの
露天が並んだ通りで、真ん中で、コノエは両足を広げていた。
唇の両脇に手のひらを添える。怒りを逆立てるようなことがイライラしてるときに連続で起きるとは、それが世の常であっても不思議なものだ。というか腹立たしいものだ。
コノエは屋根の上めがけて叫んでいた。
「アサト――!! 戻れよ! どれがいいか決めるだけだろ!」
隣で白銀の猫がこれみよがしに嘲りを唇に貼り付ける。
通りを行き交う猫、猫、仮装に身を包んだ猫たち。悪魔のように真っ黒い甲冑を着込んだ大男がコノエの前を通り過ぎた。その大ぶりな尻尾が、邪魔くさそうにコノエのマントをはたく。
「諦めたらどうだ」
よろけたところで、すかさず、背後から腕がつかまれる。
白銀の猫は呆れ返っていた。目を細めて、怒るように暮れた空を見上げている。陽の月が街並みの向こうに佇んでいた。ライの薄青の瞳は、屋根の上を通り越して月の隣を見つめている。
「猫の好意を無にするようなやつだ、気遣いに意味があるとは思えんな」
「そんなこと言うなよな。アサトがかわいそうだ」
「ほう。俺にはお前がやろうとしていることは罪滅ぼしに見えるがな。つまりは、自己満足だ」
うぐっ、と、喉が引き攣った。コノエの手からは生地の断片がもぎ取られていた。衣服を並べた露天の前から離れつつも、コノエは額を抑えた。この際、ライの言うことは気にしない方がいい。
そもそも、アサトを呼んだはずだのに、なぜライがついて来ているのかと疑問に思わないでもなかった。
「お金のことなんて気にしなくていいのに」あそこまで動揺する理由がわからない。
『好きなの選べよ。俺が買ってやるから』
『……こんなもの、吉良にはなかった』
『ああ。俺もこういうの見るのは初めてだ。それより、ホラ。アサト』
吊り下げられた赤い生地を掴む。コノエは、にこりとして生地に頬を寄せた。アサトを振りかえる。
『この色なんか似合いそうじゃないか。どれがいい?』
濃紺の瞳が、ひくりと輪郭をゆがめる。
アサトは目に見えて様子がおかしかった。通りに連れ出した時からおかしかったが。気忙しくあたりを見回し、ライを睨みつけるのはもちろんだがったがいつもの鋭さがないように見える。
『いっ……、いい。いらない。それ、返してくれ』
耳を立てたり伏せたりしながら、口早に告げてくる。
コノエは握ったままのものを見下ろした。いまだ、アサトの黒マフラーを握ったままだ。
『やっぱり、大事なものなのか?』罪悪感が首をもたげる。
カルツの言葉とか、悪魔の冷やかしとか、きっかけはそうだったかもしれないが、今では本当に軽率な行動だったと悔いている。取り返しのつかないことをしたのか。胃袋がじりじりする。無意識にコノエの尾がしなだれた。
『決断するのも一苦労か。さすが、性根から奴隷に生まれついているだけはある』
腕組みして、極寒の眼差しをしていたライがうめく。
アサトは眉を吊り上げたが、しかし、振り払うようにしてコノエの手を握った。
『いいんだ。コノエ。俺は困ってない』
風のように素早い声。コノエが気付いたときには、するりとマフラーの断片が指先から抜かれて、アサトは高く跳躍していた。青空に浮き上がった痩身――けれど筋肉はしっかりと浮き出た体。
コノエはぎくりとしていた。
衝撃が走る。けれど、逃げられた、と、その思いだけは瞬時に湧き上がった。
……――そうして、先ほどの言葉に戻るわけだ。そんなに悪いことをしたのだろうか。早歩きで道を引き返しつつ、コノエが眉根を寄せる。コツコツ、と、迷いのない足音が後をついてくる。ライだ。冷ややかな眼差しを感じつつも、コノエは意地でもライを振り返らなかった。
宿に帰ると、バルドが驚いた顔をした。
「お早いお帰りで。って、二匹ともこえーな顔が」
「アサトはいるか?」
「あの黒猫か? さあ、知らんな。窓から入られちゃ受け付け係はお手上げさ」
言葉の途中で、感謝を告げて歩き出す。バルドは面を喰らったような顔をして、コノエの後に続くライを見上げた。
「なんだなんだ。ライのせっかちが移ったのか」
当然のようにライはバルドの言葉を無視した。
コノエは、一直線にアサトの部屋へと向かう。
「アサト! 何も逃げることないだろ――」
予想通りだ。アサトは、一人でベッドの上でごそごそと何かをやっていた。背中を丸めたまま、肩越しに振り向く。耳が頭髪のなかに潜るくらいに引き倒されていた。
「ごめん。コノエを置いてきてしまった」
悪気のない、申し訳なさそうな声。叱られた子供そのものの反応だ。
はあ。コノエは、ため息をついて首を振った。
「いや。別にそれはいいんだけど」
アサトの反応は過剰だ。そこまで怒っているわけではない――、そうだ、どうして自分は怒っているのか。今更、自覚してコノエは肩を落とした。コノエは怒れる位置にはいない。怒れるのは、アサトだ。破ってしまったのは、口にしないだけで、相当大事なものだったのだ。
肩を落として部屋に入る。そこで、一転してアサトが鋭い声をあげた。
「……入るな」
「え?」
コノエが目を剥くと、すぐにアサトは首を振った。
「違う。おまえだ」その瞳は、コノエの後ろ。
ライを睨みつけている。白い尾は、壁を叩くような動きを見せた。ライの口角が吊り上がる。
「貴様は分をわきまえん奴隷だからな。主人と一人きりにさせるわけにはいかん」
「なんだと……っ」
アサトの身体が向き直る。
驚いて、コノエは二人の仲裁も忘れて声をあげていた。
「縫い合わせてるのか」
気がついたというように、アサトが手元に視線を落とす。裁縫の途中だった。マフラーとマフラーの切れ目を、丁寧――とは言いがたかったが、取りあえず糸で縫い合わせてくっ付けている。
濃色の紺目を細めて、アサトは低く呟いた。
「そうだ。これにはまじないがかけてある。……コノエ、すまない。だから、他のものでは代用ができない」
「なんだ、そういうことなら、言ってくれればよかったのに」
思わず苦笑して、コノエが言う。
アサトの耳はくるりと向きを変えた。
「……でも、コノエが贈り物をしてくれると言ってくれて、うれしかった。だから、すぐ断われなかった。ぎりぎりまで言えなくて、申し訳ないことをした」
なるほど。完全に胸中にあったものが氷解したのを感じて、コノエは頷いた。アサトは不器用なのだ。でも、優しい。それらを少し失念していた。気軽に――、本当に気軽に、告げる。
「それじゃ、今度は別のものを贈るよ。欲しいものがあったら、」
言ってくれ――。言葉が終わる前に、コノエは飛び上がっていた。
尾の根元をつかまれていた。背後には一人しかいない、ライだ。ライは、不機嫌そのものの目をしてコノエを見下ろしていた。その眼差しは冷気を伴っている。
「帰るぞ」
「な、何するんだよ?!」
激しく尾を振るが、根元を鷲掴みにされているので振りほどけない。
「行くぞ」短い言葉は、命令するような響きでいっぱいだ。コノエが産毛を逆立てて低く唸る。だが、それよりも大きい唸り声がベッドの上から響く。アサトが牙を見せていた。
「コノエにひどいことするな」
「ほう。俺の賛牙だ、おまえには関係ない」
「コノエをものみたいに言うなっ!」
怒号と共に、アサトがベッドから降りる。
今にも殴りかかりそうだ。扉の前をコノエが塞いでいるので、ライには殴れかかれない。もどかしげに、憎らしげに相貌を鋭くして黒い尾がゆらゆら左右に大きく震幅した。
「……殺す」
「――ライ! 離せよ!」
尾の付け根を締め付ける力はあがる一方だ。
思わず、腰が砕けそうになりながらもコノエは叫んだ。
「離せっていってるだろ……!!」
「話は決着ついたんだろう? 部屋に戻れ」
握ったまま、強く引かれる。情けない悲鳴を済んでのところで飲み込んだ。尾を引き摺られて、コノエは部屋の外に放り出されていた。
コノエ! 叫ぶ声。だが、それより早くライが扉をバタンと閉めた。
直後、扉に猫が衝突した音が響く。
素早く短剣を抜き放ちながら、ライが荒っぽく言い捨てた。尻餅をついて、こみ上げる怒りに歯軋りするコノエを青い瞳が追いかける。
「奴隷に奉仕する主人など聞いたことがないぞ」
「はぁ?! 何、いってるんだアンタ――」
「相手が違うと言っている。賛牙は、闘牙を支援するために存在する。――お前、訓練の成果を忘れたわけじゃないだろう。いくら馬鹿猫でもそこまでは面倒みきれん」
うめかれた言葉が信じられずに、コノエは目を見開く。
何を勝手な、とか、ワケがわからない、とか、押し寄せる理不尽な怒りに尾の痛みが重なって憤怒を掻きたてた。
「アンタはいつも勝手だ!」
強い言葉がでた。ライが眉を寄せる。
その短剣の切っ先を向けられて、コノエの身が怯んだ。
だが、その意図は違うところにあったようだ。間を置かずに、窓から飛び込んできた影がライへと襲い掛かった! アサトだ。牙をむき出して、爪をライへと振りあげる。
「くだらんな。馬鹿猫どもが!」
「コノエを苦しめた。おまえ、殺す!」
「〜〜〜〜っっ」
目の前で斬撃の打ち合いが繰り広げられていた。
狭い宿の廊下で、だ。すぐさま、階下からバルドが怒鳴る声がした。
「おーい! なんだ?! 暴れてンのか?! 宿壊すんじゃねーぞ!」
「っ……」バルドの荒っぽい呼びかけが、さらに怒りを掻き立てるようだ。
アサトに感じた苛立ちは収まった。収まったがはずだが、理不尽な怒りの反動もあって、コノエは二人に向けて声を張りあげていた。
「二人とも、いい加減にしろ!」
打ち合いは止まらない。爪を剣の表面でいなしながら、ライは、反対の手のひらを持ち上げていた。その手には鋭利な爪先が不穏な光を放っている。迎え撃つアサトも、憎憎しげな光を瞳に乗せて、腰を低くかがめて見せた。
「――ライッ! 賛牙をやめるぞ?!」
ぴくりとしてライが動きをとめた。
「アサト! もう何も買ってやらないからな?!」
ぎくりとしてアサトも動きを止める。互いの喉仏めがけて爪を繰り出そうとした格好のままで、二人は、揃ってコノエを見下ろした。怒った青い瞳と、狼狽した濃紺の瞳。
「貴様……」怒りに震えるようなライの声音。
思わず、尾を震えかけたが、コノエはライの瞳を見返した。
空気が張り詰める。それを割り裂くように、アサトがおずおずと呟く。
「コノエ。……怒っているのか」
「争いをやめるんだ。アサト、腕をおろす」
素直にアサトは両腕を下げた。
耳と尾を力なくしょんぼりとさせて、悲しげに足元を見下ろす。またもや、叱られた子供そのものだ。途端、コノエの胸に先ほどの罪悪感が蘇る。
「……ああ、えっと。もう怒ってない」
ひくりとアサトの耳が動く。コノエはとどめの一言をだした。
「今度、一緒にでかけて何か買いに行こう」
「本当か!」ぱっとアサトが顔を輝かせる。
頷いて、コノエは強く言い聞かせた。
「だから、今は喧嘩するな。アンタもだ、ライ」
「俺まで調教する気か?」
肝が冷えるような眼差しが返ってきた。
アサトに向けるのと同じような勢いでライに声をかけたことに、ようやく気がついたが引くに引けない。引き攣りつつ、コノエは首を振った。
「俺とアサトはそんなじゃないって何回言えばわかるんだ」
「……はん。行くぞ」
「え?」
「訓練だ。賛牙としての自覚が足りんようだからな」
「い、いまから?」
祭りの最中だというのに、剣と剣をぶつけることになろうとは。
コノエが驚くのも構わず、ライが腕を取る。ムッと眉根を寄せて、コノエが言った。
「馬鹿なこというなよな。今日はもう部屋に戻る」
「お前だろう、馬鹿猫は」
「よくわからんが。お二人さん、宿の中では揉め事よしてくれよ」
同時に振り返れば、バルドが腕組みをして階段の下から見上げていた。
ライが剣呑に眉頭を引き寄せる。フン、と、鼻を鳴らすと踵を返した。向かう先は、部屋の扉だ。バタン! と、乱暴に閉められた扉を見つめてコノエがうめく。宿そのものが揺れたような酷い振動がした。
「何なんだ……、一体」
「コノエ。俺、あいつ嫌いだ」
背後でアサトが唸り声をあげる。どこか遠くで聞きつつも、ふと、思い当たってコノエは呆然とした。
「まさかアサトに嫉妬した……?」自分が贈り物をすると言ったから。考えること一秒、コノエは達観した笑みを口角に浮かべて考えを放棄した。それはない。絶対に、それはない。
end
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