尾





「あ゛っ?!」
 思わず、自分でもビックリするくらいの鈍い声がでた。
 ベッドが軋む。その音に、ライの耳がぴくりとした。両目に呆光を灯してコノエを振り返る。
「どうした」
「……い、いや。何でも」
 心臓がどきどきとする。おまけに、冷え冷えとしている。
 ライには気付かれたくない。その一心で平静を装い、元のように手の甲で頬をすりすりと撫で上げた。そうしながら、甲もペロリと舌で舐めあげる。産毛が掻き揚げられる感触は、安らかな心地を呼び起こして、……安らかな心地に。安らかな心地に、なれるわけがない。ライが怪訝そうにまだ見つめてきてる。
 早く寝ろ、と、脳裏で呟いた。やたらと気持ちが焦る。
「水皿、その大きさで大丈夫だよな?」
 肩越しに振り返ってみて、失敗を悟った。
 ライは確信を深めたような顔をしていた。普段の俺なら、こんなことは言わない。水皿は宿で共通においてあるもので、そもそも、サイズの違いとか関係がない。
 膝の上で手入れしていた短剣をベッドにおいて、ライが立ち上がった。
「なんだ。言ってみろ。場合によっては手を貸してやらんでもない」
「いや。賛牙絡みじゃないんだ」
 先ほど、空き地で稽古を終えたばかりだ。夜の冷気で、俺が、戦闘中だというのにクシャミをしたことが発端で、いつもより早く引き上げてきた。
 あ、と、ようやく思いついた。
 やたらとライが引っかかってくると思ったら、こういうことか。
「大丈夫だ。風邪じゃない。熱がないから」
「フン。調子に乗るなよ。心配しているわけじゃない」
「……なら、いいだろ。放っておいてくれ」
「なんだ。尻尾か?」
 ライは、さすがに鋭い。
 庇うように動いていたことがバレたか。
 声とほとんど同時に、ライに肩を掴まれていた。
「やめろよ。何でもない!」
「見せてみろ。急所に怪我を負ったのか?」
 呆れた声音と共に、ベッドに肩を押し付けられる。
 すると、自然と尻を突き上げる格好になって、尾の付け根までがライに丸見えとなった。
 うう〜っ。と、唸り声で喉が震えだす。意に介した様子もなく、ライが尻尾の真ん中辺りを鷲掴みにした。尾を乱暴に振り回して、何度もライの体を叩いたからだろう。
「子供か、お前は。……ん?」
 溜め息のあとに、訝しがる声音。
 ぎくりとした。尾を上に引っぱられていく気配がつづく。
 血の気が引きつつも、上目を向けた。ライは、鈎になった尻尾のところをまじまじ見つめていた。
 その先には、白と茶が混じったモコモコがくっ付いている。歪なシルエットは、道しるべの葉だけに照らされた室内でもはっきり見て取れる。……バレた、そう確信して毛布を握りしめた途端、ぶわっと尾がふくらんだ。
 面白がるような声が、即座に追いかけてきた。
 ライが悠々と鈎尻尾を眺めている。
「毛玉か。きちんと毛づくろいをしなかったな」
 猫にとって、尾は宝物のようなものだ。
 急所でもあるし、先祖から貰い受けた大事なものでもある。
 何より自分の一部だ。リビカにとって優雅な耳と尾を持つことはシンボルともいえる。だから、尾の先に堂々と毛玉をつけているなんて、自分はずぼらで魅力がありませんと大声で主張しているようなものだ。恥ずかしさで頭に血が昇る。声を無理やり張りあげた。掠れてしまうけれど、構うものか。
「――このところ忙しかったからだ!」
「ほう。よく言う」
 ふさり。
 目の前に、真っ白い尾が差し出される。
 俺の稽古につきあって、一緒にあちこちを回ってた筈のライの尻尾。
 白くて、太くて、ふさふさで毛ヅヤがよい。見せびらかすように、鼻から数ミリ先のところでユラユラして見せてから、ライが嘲りの声をあげた。
「賛牙の面倒も見ねばならん分、俺の方が忙しいと思うが?」
 な、なかなか痛い反撃だ。コノエの喉は、グルルと威嚇を始めた。
「はん。未熟者が」見下ろしてくる透き通った青目が憎らしい。
 薄笑いを浮かべた唇から歯が見えて、尖った牙が覗いていた。悔し紛れに――そうとしかいえないのが、本当に悔しいと思いつつもコノエは言葉をひねり出す。
 とにかく、この屈辱的な場面から逃げ出さなければ。
「アンタが図太いだけじゃないか。俺は、こういう生活にはまだ馴れてなッ。ぁ?!」
 むず痒い焦燥が腰に響いて背筋を駆け登った。
 慌てていた。ライが、毛玉を人差し指でぐりぐりと押してきた。
「なっ、何する! やめろっ!」
「待て。ほどいてやる」
「い、いいっ! 自分でやる――」
「俺がやった方が速い」
 どうしてそんな自信が! どこから!
 思わずうめきたくなるくらい、ハッキリした声でライが断言してみせる。
 くい、くい、指で毛を掻き混ぜられて、時折り強く押し込まれる。くじるような動きだ。尾の根元から体の奥めがけて奇妙な焦げ付きが芽生えてきて、ヒクリと鈎になった部分の尾が振れた。
「敏感だな」
 感想のような、どうでもよさそうな呟き。
 聞こえると同時にコノエの耳がふるえた。紛れもなく羞恥からだ。
「や、めっ……。やめろってば! いやだ!」
「黙れ。暴れると余計に面倒がかかる」
「いっ?!」
 ギュッと先端を抓られて、声が裏返る。
 いまや全身が強張っていた。羞恥を上回るくらいの怒りで肩がせり上がる。
 今すぐに爪で引っ掻いてやりたい衝動にかられる。でも急所をガシリと掴まれいてるから、引っ掻くのも――逃げ出すのも、無理だ。耐えるしかない。急所をいじられる感覚にくらくらとしつつも、コノエは奥歯を噛みしめた。
 本当に僅かな時間のあいだに、ライは、宣言通りに手早く尾の毛玉を解いてみせた。
「まったく。呆れた猫だな」
 やり終えて、ライがうめいた。
「自分で自分の毛づくろいもできんとは」
「……っ、あ、アンタが勝手にやったんじゃないか」
 イラッとして呟くと、奇妙な沈黙が返ってくる。
 少し、心臓が跳ねた。尻尾に添えられたままの指が、何か、怒ったようにピクリと動いたからだ。そんなに怒るような発言だったろうか? 振り返ると、ライは、すぐに視線を外したと思えるタイミングで窓辺を見つめていた。
「今日だけだ。手間をかけさせるなよ、馬鹿猫」
 するり。手のひらを離して、ライは自分のベッドへと戻っていった。
「な……、何、勝手なこと言ってるんだ」
 目の前には毛玉がなくなってスッキリした自分の尻尾があるだけ。ベッドの上をうろうろとさせてみてから、尻尾の鈎になった部分を見つめる。
 チラ、と、時間を置いて見上げると、何事もなかったかのようにライは剣の手入れに戻っていた。青い瞳や態度からは感情は読みとれない。
 だけれど、もしかして、と、思うものがコノエにはあった。
 その横顔をじっと見つめる。そのうちに、薄青の瞳が鋭く歪められた。
「なんだ」
「……別に」
 ふ、と、ため息がでる。ありえない。親切だなんて。
 ライは、本当に言葉通りに毛玉に慌てる俺が馬鹿らしくて面倒に思っただけに違いない。
 コノエは毛づくろいを再開させた。ライは、コノエに返したままの眼差しを訝しがるように細くさせる。見透かそうとするかのようなやり方だった――だが、すぐに外れた。
「早く寝ろ」
 何なんだアンタは。
 胸中だけで呟いて、念入りに毛づくろいを始める。
 もう二度と、ライにはこんな醜態を見せるものかと固い決意が芽生えていた。そもそも、母親以外に尾に触れるとか毛づくろいじみたことをしてもらうとか、そうした経験がコノエには極端に少ないのだ。
 ちりちりした火種が胸のなかで跳ね回っていた。それには気付かないフリをして、毛づくろいを終える。ごろりとベッドに横たわった。天井がくすんでいた。

 

end

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