ある一匹の猫への形容について
「ハハハハハ! いくよ!」
高らかな笑い声は、甲高くていっそ耳障りなくらいだ。
二本足で木の幹を駆け上がりながら、白猫は背負った長剣の柄へと手をかけた。ひゅうんっ、一陣の風が銀髪を切り落とそうとするかのように頭上から降ってくる。
枝の上へとステップを踏む、それと同時に樹上から悲鳴があがった。
「ライ! まだくる!」
「!」
「これはどうかなぁ!」
歓喜に震えながら、フラウドは歯茎を見せた。
間髪を入れずに新たなカマイタチがライへと降り注いだ。
「――――」
薄青の瞳が引き絞られる。
刃の一閃で、カマイタチに切り込みが走った。そうして作られた通り道に飛び込み、ライが別の枝へと飛び移る。彼と入れ違いになったカマイタチは、しゅぱしゅぱと数本の枝を切って地に落ちた。
「あははっ。お見事だよ白猫ちゃん! でも、ホラホラ! 早くこないと子猫ちゃんが落ちちゃうよォっ」
「っ?! ば、馬鹿っ。揺らすな!」
コノエは必死になって樹の頂上にしがみ付いていた。周囲を旋回して飛んでいたフラウドは、突如としてコノエの肩を掴むと強く揺さぶった。
「っ、っ……!!」
両腕で幹にしがみ付き、コノエは耳を伏せる。
地上から五十メートルは離れている。まともな思考ができる猫なら登ろうなんてバカな考えを抱かないような、細くて長い樹のてっぺんでコノエは取り残されていた。コノエの周りをぐるぐるしているフラウドがそこに置いたのだ。
「っ」
風が吹くだけで吹飛ばされそうだ。
必死になっているコノエの顔を覗き込みつつ、フラウドがわざとらしく首を傾げた。
「あれェ」
コノエは、薄く目を開けてフラウドを睨みつけた。
「アンタ、余計なことすんなよ。絶対にするなよ」
「いやだな〜。悪魔を何だと思っているんだい? そうだね、例えばこんなこととかすると思ってるんだろう?」
あははは。呑気に笑い声をあげつつ、フラウドは幹を掴んで思い切り揺さぶった。
「お、落ちっ……っ、やめ、うああ!!」
「持ち堪えろ!」
鋭い声が隣の大木からあがる。既に幹が駆け上がるだけの太さがないため、ライは枝を拳で掴みながらコノエ達に追いつこうとしていた。その様子を見て、フラウドはヒュウッと口笛を吹いた。
「白猫ちゃんが頑張る姿は健気だねえ。そう思わないかい?」
「な、何が目的だ。ここで俺を食べる気か」
「いくら僕でもこんな情緒のないトコはいやだよ。目的? そうだなぁ……、暇潰しかなぁ」
ぶつぶつと言いつつ、しかし、フラウドは樹を蹴りつけた。軽く降って、げしっ! とやるだけの気軽な蹴りだ――、が、コノエがゾッと鳥肌を立てるくらいに大きく揺れた。
「あっ?!」ゆさっと右に振れたかと思えば、今度は左だ。
嫌な汗が噴出した。樹を抱きしめていたはずの両腕が、一瞬の間に一文字に広がっていた。指が拠り所を求めて宙を掻く。
「!」
「うっ――」
足場にしていた枝からもブーツが滑り落ちた。
白猫が樹をよじ登るのをやめたのはそれと同時だ。
ライは、コノエに飛び掛るとすぐさまその二の腕を掴んだ。空中だ。銀色の髪が大きく広がって、マントと一緒にバサバサとはためいた。落下の最中で鋭く叫ぶ声がする。
「――抱きつけ!」
「っ?」
「早くしろ!」
ワケがわからないながらも、コノエはライの背中に腕を回した。密着すると、目の前の猫がどれほど筋骨逞しいかがよくわかる。ごつごつとした筋肉が頬にぶつかった。
「おやおや。ホントに落ちちゃった」
フラウドがひたすら呑気に宙で舌をだした。
「いいのかなぁ? 白猫ちゃんまでぺっちゃんこかなぁ」
仮面の下の瞳は、さぞや喜悦に歪んでいるのだろうとコノエが苦々しく奥歯を噛んだ。よくわからないが、フラウドは自分とライとを気にしているらしい。
「…………ぁああっっ!!」
ライは両手で長剣を握りしめていた。
陽の月明かりに照らされ、光が反射する。コノエの頬を反射光が焼いた。その刹那、ライが突き出した切っ先は幹を齧った。
「…………っっ!」
ガガガガガッ、と、凄まじい轟音がくすぶる。
コノエにまで小刻みに揺すぶられるような衝撃が届いた。樹に刃を立てて落下を和らげようとしているのだ。落下の速度が変わった。だんだんと、確実に緩やかになっていく。
コノエが息を止めてからわずか数秒の出来事だったろう。頬を寄せていたライの筋肉が、唐突に隆起をなくして平らに近くなった。はあ、と、深呼吸をするように肺が膨らむ気配。ますますコノエは腕に力を込めた。
「……おい、いつまでしがみ付いている気だ」
やがて、ライは自らコノエを引っぺがした。
「え? あ、あれ」
地上に立っていた。
きょとんとするコノエにため息をついて、ライは剣を鞘へと戻した。傍らの大木には、深々とした線が何メートルにもわたって縦方向に刻まれていた。
にやにやしたフラウドが、拍手をしながら地上へと降りてきた。
「お見事! さすがだよ」
「貴様。今のは何のつもりだった」
「いやだなぁ。ただのスキンシップだよ。猫ちゃんたちのお祭りも楽しいんだけどね? ちょーっと違う趣向で遊んでみたくなったりもするお年頃なんだこれが」
無言で眉間を皺寄せ、再び背中へと腕を伸ばす。
叩きつけるようにして切っ先が振り下ろされた。フラウドは軽く身を捩り、ステップを踏むようにしてライとの距離を空ける。
「だってねえ。自覚なしにらぶらぶしてる奴等がいたらちょっかいかけてやりたくなるだろ? わからないかい、そういうの」
「何を言っている。次にやったら即座に斬るぞ」
「あれェ。斬った後にそういうこと言うの、卑怯だなぁ……」
にやにやとしながら、フラウドは自らの下唇を撫でた。
ドクドクと脈打つ心臓を抑え、呼吸を整えていた猫を振り返る。コノエはぎくりとして身構えた。
「猫ちゃん。僕は素直な君も可愛いと思うなぁ」
「な……、に、言うんだ」
「正直な感想さ。もう、こういうことはしないと約束するよ」
両手に剣を持ち、鋭く見据えるライに向けての台詞だ。ライはそれを受けても刃を仕舞おうとはしない。
フラウドは、勿体をつけた動作で手のひらをふった。
「だからどうぞまた安心して僕の手を取ってね。後悔させないよ。あははは、はははっ」
風が軋んで、フラウドは一瞬の内に遥かな高みへと上昇していった。緑と黒とが混ざった装束が見えなくなると、ライは瞼を落として剣を収めた。
ツメを立てた両手を下ろしつつ、コノエは上目でライを睨んだ。
「あ、……と、その」
「なんだ」
「ありがとう」
「…………」
瞑目するように、ライが眉根を寄せる。
祭の初日、猫ごみに呑まれてコノエが躓いたのが少し前の出来事だ。
アサトはどこかに行ってしまって、祭り見物をすると言って付いてきたフラウドとヴェルグが道連れになった。もちろん、賛牙を放ってはおけないとライもついてきた。
『猫ちゃん。あぶないよ』
優しく声をかけて、フラウドが手を差し出した。
片膝をついたまま、コノエはいささか呆気に取られつつも悪魔の手を取った。
『あ、どうも』すると、フラウドはニコニコとした顔をニヤニヤとした顔に変える。それとともにコノエの手に自分のもう片方の手を重ねて、両手でぎゅうーっと握りしめた。
ぎょっとするコノエを置いて、ヴェルグが後ろ頭を掻いた。
『あ〜あ。ぶわか、だな。ぶわか猫だぁ、テメー』
『あははっ。かわいいねえ! そーれ、遊ぼう子猫ちゃん!』
『なっ。わっ、わ?!』
『前に気をつけないとダメじゃないか。危ないよ。君を狙ってるやつは思ってるよりも多いんだからさ』
忠言めいたことを言いつつ堂々と明後日の方角へとコノエの手を引いていく。先頭を歩いていたライが気がつくころには、通りを抜けて森を目指していた。
『……おいっ?!』
ヴェルグがとことん冷めた目をして見送った。
『そっちの食うって意味かよ?』
『どこに行く……?! おい、待て!』
ひとつ、足音が追いかけてくる。鋭い呼びかけはライだ。
フラウドに半ば引き摺られつつ、コノエは喉を張り上げた。
『止まれよ! 何なんだアンタ!』
『あははは、追いかけっこだね。白猫ちゃん、僕を捕まえてごらんよ!』
『貴様!』
『…………?!』
と、そうこうする間に森に入りこんでいた。
さらに、浮き上がったフラウドに樹上に置き去りにされてと、まあ、そんなことがあった。
恐らく、ライのこの沈黙は今までのことを反芻しているための沈黙で違いない。コノエは知らずに固唾を呑んでいた。とても、かなり、とてつもなく怒っているのだろう。
眼帯のついていない方の瞳が、ぱちりと開く。
「くだらんことに付き合わされた」
開口一番が、それだった。
「この馬鹿猫が。見るからに怪しいヤツの手なんざ取るな」
氷のつぶてを纏ったような言い方だ。コノエが引き攣る。
「……いや。その。迷惑かけて、ごめん」
「迷惑だと……?」
ライが苛立ったように尾を左右に振った。
「ああ、迂闊な賛牙を持って迷惑をしている。身の振り方に気をつけろ」
「…………、すまなかったな!」
自然と荒い言葉が口をつく。ライの身勝手でどこまでも不遜な態度には慣れたが、それでも真正面からぶつけられると気持ちのよいものではない。
謝罪は済ませたと、コノエは肩を怒らせて踵を返した。
「どこにいく」
「街に戻るだろ?」
「方角が違う」
「…………」
歩き出した五歩を引き返して、コノエは座った目つきで辺りを見回した。正直なところ、無理やりフラウドに引っぱられてきたので、どこから来たのかなど覚えていない。
段々と冷や汗が浮かんでいく。
その様子を眺めていた白猫は、ふうとため息をついて細目を見せた。
「……ついてこい。こっちだ」
「…………」
「礼はなしか」
「どうも」
「可愛くない礼だな」
「なんだよ。可愛くしてほしいのかよ」
「……馬鹿猫が。お前にかわいいなどという形容をするヤツの気が知れんな」
ぼやくようなニュアンスで、やはり声音は氷の色をしていて冷たい。しかし、コノエは不思議に感じてライを見上げた。
隣を行く白猫はいつものように堂々としゃきりと歩く。銀髪が陽光を反射してきらきら光り、太くてふさふさわした尾は貫禄を持ってマントの下で揺れている。
「……俺もそう思うけど……」
その尾を見下ろして、思い出した。
フラウドに言われた言葉だ。
かわいいねえ!
やたらとウキウキした声で、そんな言われ慣れないことを告げられたので印象に残った。コノエは、なんだか怒ってるように見えるライの横顔に視線を戻した。
と、直後、綺麗な青い瞳がギラリとして振り向いてくる。
「お前、火楼の出身なんだろう。あそこは戦闘部族じゃなかったのか」
「? そうだけど」
「なら、フラウドには注意すべきだと勘付かなければならんな。賛牙といえどもそれくらいはしてみせろ」
「なっ?! お、俺が弱いっていいたいのか?!」
さすがにカチンときて、コノエは足を止める。
ライが眉間を皺寄せて振り返った。
「俺より弱いだろうが。いいな。俺の言ったことを忘れるなよ」
「な……」
何だよそれ!
愕然とするコノエには目をくれず、ライはさっさと道を引き返した。彼に置いていかれると、帰り道がわからなくなる。
すごすごと後に続いて、しばらく経つと街が見えてきた。
時間が過ぎてコノエの衝動的な怒りもいくらか論理をつけてきた。街の入り口に向かうライの背中に、ぼそりと呟いたのはそんなものの結果である。
「いつかアンタより強くなるかもしれないぞ」
「ほう。誰がだ」
「俺が」
白猫は、足を止めてまじまじとコノエを見下ろした。
「……ふ。無理だな」
「わ、わからないだろ?」
やけになってコノエが叫ぶ。
ライは口角をナナメに吊り上げた。
「無理だな。何なら今、腕合わせをするか? その細腕で、しかもそんな可愛らしいなりをしておきながらよくそうしたことを口にできるな」
「何だよ。わかんないだろ! アンタにだって小さい頃はあったはずだ――、……ん?」
何か、奇妙なものを覚えてコノエは鼻をひくつかせた。
何か……、何か違和感のあるものが聞こえた気がした。
「どうした」動きが止まったコノエを、ライが訝しがる。
だが、彼もすぐに気がついたようだ。目を僅かに丸くしてコノエを見下ろす。それから、早かった。
「あれ、今なんかおかしく――」
言いかけたコノエを塞ぐように、その尾を鷲掴みにした。
「っっっ?!」一瞬だ。コノエが飛び上がるとすぐに手を離して、ライは踵を返した。
「月が沈むな。おい、祭の見物に行くんだろう」
「い、いきなり何するんだよ?!」
「うるさい。行くのか、行かないのかどちらだ」
「……?! い、行くよ。行きたいけどっ」
「ならば行くぞ。はやくしろ」
有無を言わさないとはまさにこのこと。
呆然とするコノエを置いて、ライはさっさと通りを歩く猫の中へと混じっていった。悪魔の仮装をするものが多いので、ライの銀髪は目立つ。なので、見失うことなくコノエはついていくことができたが。
「な、なんなんだよ」
釈然としない。
しかしライの他を寄せ付けない空気に呑まれて文句もいえない。
ライは、隣についたコノエを冷めた目で見返したが、その眼差しは何かを恥じているようでもあったとか。
end
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