迷い猫
「のろわれたねこ。みぃーつけた」
「…………っっ!」
運がない、その一言だ。
アサトは人ごみに尾を逆立てながら消えてしまったし、ライとははぐれてしまった。一人、路地裏に入ったのが失敗だったかもしれない。気がついたときには、軽快な足音が後ろに迫っていた。
「おまえのくび、とんじゃうよ」
「のろわれたねこのくび、なくなっちゃうよ」
キルがニィッと牙を覗かせる。
一閃。すさまじい衝撃が両手を殴った。
「あっ?!」重みに耐え切れなかった。
横目を走らせれば握っていたはずの柄が吹飛ばされていくのが見える。タタッ、短い足音。視界に影が差す――、悔念に駆られているヒマはない。
両手の指からめいっぱいに爪を伸ばした。
後退りながら、やっと、髪の毛一筋の差で切っ先から逃れる。
尋常じゃないスピードだ。これが、賛牙の支援を受けた闘牙の実力か。
愕然としてから、ハッとした。キルの姿がない。ウルが、肩で荒い呼吸をしながら口角を引き上げた。
「しんじゃった。のろわれたねこ」
「――?!」
「さよなら!」
息が、止まる。すぐ背後からの声だ。
伸ばしたはずの爪が萎縮する。
耳がぶるりと震える。すぐそこ、耳の裏側に風が――刃が振り下ろされる気配。
「……っっ」瞬間、呼びかけが聞こえた気がした。誰のものか。
うたうたいか。ライか、アサトか。それとも別の何かに突き動かされているのか。
殺されてしまう。あと、どれくらいで首が撥ねられるんだ。
そう思うと、頭に割り込んできたような声に誘われるままで夢中になっていた。瞑った視界の中でうたが弾ける。リズムが、脳天を突き抜けるようにして湧き上がる。
チリッと焦げるような痛み。
切られる、終わってしまう、殺されてしまう。呪われたままで終えてしまうのか。後悔、怒り、悲しみ、嘆き、絶望。湧き上がるものに押しつぶされながら、うたっていた。
その全てを断ち切るように――刃と刃がぶつかる。
「……ライ……?!」
リズムが鳴りひびいていた。白い光は、背後に向けて伸びていた。
淡い緑の色彩を怯えた光、それを全身に絡ませながら立ちはだかる青年には覚えがある。ここしばらく、行動を共にしている猫だ。
「馬鹿猫が。そんなに早死にしたいか」
怒りのこもった低い声。銀髪がなびいた。
「きたか」
「しろねこ」
キルとウルが腹立たしげにうめく。
短剣で刃を受け止めて、ライが目の前に立っていた。
「――どこから。助けに……?」
「助けるのは当たり前だ。お前は、俺の賛牙だからな」
うたを絶やすな。鋭く、刺しこむようにライが言う。
その背中を見つめて、呆けてしまっていたことにようやく気付いた。
慌てて集中し直して、白い光を生み出していく。ライは説明も少なにキルへと駆け出していった。ギィンっ! 刃と刃が擦れあう。削り合う。荒々しく、罵倒としか思えない口ぶりでライが叫んだ。
「お前がいないから屋根に昇った――見渡しやすいからな。してみれば、これだ!」
本当に鬱陶しげで、ムカッと腹にくるくらいだ。だが、不思議と今は怒りよりも嬉しさが強かった。いける。ライが来てくれたなら、闘える。
その思いが吹き上がってうたを作る。
賛牙のうたは、喉でうたうものじゃない。こころでうたうものだ。
「――――」胸に手を当てた。あたたかくて、トクトクと鼓動している。
ライが心強かった。斬りあう音が激しさを増していく。さなかで、忌々しげにウルがささやくのが聞こえた。ターンと強く石畳を蹴り上げて、キルがライとの距離を空ける。
「いまはほんきではあそべない。ようじのとちゅうだ、しろねこ」
「逃がすか!」
しかし、ライはすぐさま距離を縮めた。
相手の首を狙って長剣が横に凪ぐ。容赦のない太刀筋だが、キルは動揺もなく刃を受け止めた。むしろ、キルの表情は愉しげですらあった。
「くるうくるう。しろねこ、おまえはくるうよ!」
「…………何を」
透き通った青い瞳が不快に歪む。
異変は同時に起こった。うたが止んだ。ギクリとして、後退りしたが間に合いそうもない。腕からぼたぼた血を流して、ウルが血走った目で飛び掛ってきた。
「っ?!」
ギィン!
寸でのところで、身体を投げ出した。
這いつくばりつつも、なんとか頭だけはすぐに持ち上げる。側頭を打ってズキズキと痛んでいた。くすくすとしながらウルが刃を振りあげる――、その胴体を掻っ攫うかのように白銀の光が走る。
触れる一秒手前のところだった。ウルが飛び退いた。
ライが、ウルとのあいだに立って両手に剣を構えていた。
「またあおう。くろいねこ!」
「それがさいごだ。のろわれねこ!」
キルが屋根に飛び乗り、ウルがそれに続く。
そうして即座に姿が消える。……遅れて、静寂。
肩でため息をして、ライは刃をおさめた。肩越しにふりむいてくる。
「立てるか」
「……なんとか」
膝頭が震えていた。頭の奥には、うたった名残で鈍痛が残る。上腕をとられて無理に立ち上がらされていた。ライが、冷え冷えとした眼差しで見下ろしてくる。
「どうしてはぐれる。首輪でもつけるか?」
「わ、ワザとじゃない。アンタが歩くのが速いんだ」
「速い? お前が遅いだけだろうが。馬鹿猫な上に足の遅い猫など論外だな」
カァッとした。確かに、はぐれたのはこちらの責任だがそこまで言われる必要が無い。
眉を吊り上げ、口を開ける。そこで、ライが思案顔で低い声をだした。
「どういう心境か知らんが、うたっておいて命拾いしたな」眼帯に覆われていないほうの瞳が、パチリと瞬きをする。「うたが聞こえた。それで居場所がわかった」
「…………っ?」
こ、これは。褒めているのだろうか。釈然としないけれど。
ドスの効いた声でうめかれては素直に喜ぶものも喜べないというものだ。口をぱくぱくさせたが、ライはどこ吹く風だ。こちらの様子には構うことなく、鬱陶しげに再びため息をついている。
ぴくりと眉根が痙攣した。もともとの発端は自分にあるとはいえ、ライのその態度は、別に――。間に合わなくても、よかったと言っているようで――、いささか胸にくる。
ないがしろにされている気分だ。耳が僅かに伏せるのを感じた。
「手をわずらわせて、悪かったな」
ぶっきらぼうに言い放つと、ライが目を細めた。
「どうしてそうなる。
死にたいのか? お前」
「……用事はおわったのかよ」
そもそも、こんな路地に入ったのもライが酒場に立ち寄ると言い出したからだ。酒を呑む場所なら裏通りにありそうだと思った。ライが薄い青目を不機嫌そうにゆがめる。
「今から行く。お前も来い」
傲慢に言い放つだけだ。返答も待たずに歩き出す。
助けにきてくれたんだと思う。頼りにもなる。けど、やっぱり、この猫には反発を覚えるときのが多い。くそ、と、口の中だけで呟いて後を追いかけた。尻尾がゆらゆらと左右に揺れる。駆けつけてきてくれて、見つけてくれたことには感謝している。それは確かに嬉しかったのだが、
「今度こそ離れるなよ。次はもう知らん」
やはり、ライは腹の立つ猫だと思う。
こんなんだから『助けてくれてありがとう』とかも言いたくなくなる。
end
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