蛇の契約



 ソルという名の魔術士は、血族の遠い歴史の中、埃塗れになって隠れている存在だ。
 血族の人間、それも上層部の者だけが、彼が闇に埋もれながらも未だ降臨することを知っている。用心深く狡猾であるため、自らの身体と不朽の魔術には誰をも寄せ付けないよう、厳重な守りを敷いていた。
 夜、屋敷の中を一人で歩き、ソルは地下洞窟に向かった。
 深夜の時分には、ある扉の前で守りの魔術組式の確認を行っていた。
 地道な作業は本来彼の嫌うものであるが、先日、思わぬ伏兵に破られたばかりだったので気が立っていた。ソルにとって最重要品となる魔術呪具が扉の向こうにある。ソルの桁外れの知識と魔力を用いても修復には一月をかけた。その間の焦燥、怒りなど、思い出したくもなかったが――、そうしたことも重なって青年の目には憤怒にも似た妄執の色がありありと浮かんだ。
 金色の光を放つ魔術方陣が、ソルの手のひらの下で五重にもなって展開されていた。
「施錠せよ」
 老獪な響きのある低い声が告げる。
 魔術方陣が一点に収束し、鍵の形になって扉に封をかけた。
 ソルは血の色をした両眼を細めて親指と人差し指で鍵を摘む。途端、バチッと電流が爆ぜた。侵入者が容易に触れれば丸コゲとなる。第一の鍵が突破されても第二の鍵がある。第十の鍵までかつては続いていたが、今はリヒトの反逆を受けて第三十の鍵までを作った。肩を張り、ソルは踵を返した。
 これでようやく一息つけるものだと、胸の淵で呟く。この数日、ソルは身辺の整理に集中していた。
 血族の屋敷の最奥、自らの居住区と定めたエリアに戻ったときに、年老いた魔女が後ろから追う様にして歩いてきた。
「ソル様。お望みのものでございます」
「ほう。ご苦労」
 深夜であるが。研究を生業とする魔術士の多くには昼夜など意味がない。
 ソルが情報収集に利用する一族の女もそんな者の一人だ。書類を受け取ると、ソルは、それまでと同じ傲慢な足取りで絨毯の上を進んだ。自らの書斎とする部屋は地下にある。厳重にしかれた防御魔術もソルに対しては効力を発揮せず、全て素通りした。
「……さて……」
 上下左右に至る全ての壁が巨大な本棚だった。魔術を用いて本は重力に逆らい、天上にあるものでさえ、落ちてこない。部屋の家具全てが豪勢な輝きを放っていた。
 椅子の背を掴むと、向きを変えさせて、腰を下ろした。優雅に足を組む。
 自らの寝室に寛ぐ主の体で、ソルはネクタイを緩めた。
「ユイ・マナセか」
 一枚目はプロファイリングに顔写真をつけたものだ。何らかの集会に出席したときのものか、厳かな白いマントを羽織って凛として前を向いているワンショットだ。にやりと、含みのある笑みを浮かべて、一枚目を捲らせる。五十頁程の厚みがある報告書だったが、男はゆっくりと眼を滑らせていった。獲物を見定めするように、赤眼に危険な輝きが混じる。

*****

 ソルの寝室から繋がった場所に真名瀬唯のための祭壇があった。ソルは祭壇と呼ぶが、実際には、唯の寝室のようなものだ。
「! ソル……」
 憎き敵の来訪に、唯が肩を怒らせる。子猫が逆毛を立てる様子に似ていると素っ気無い感想を返すと少年は悔しげに歯噛みした。
「何をしに、きた」
「私がお前のもとに来るなど、理由が一つしかないと思わぬか?」
「っ、貴様――」
 若く有能な少年魔術士の眸が怒りで濁る。
 ソルには愉しみ甲斐のある光景だ。喜悦に唇を裂いて、部屋の中央に敷いた寝台へと歩み寄る。
「かねてから宣告したように、そろそろ、我が『器』は母体と化すべき頃合い。ユイ・マナセよ。これからしばらくは、お前が孕むまで添い遂げてやる心構えであるぞ」
 少年の両眼が見開かれる。寝台に上半身を起こし、片足を支柱に繋がれた格好でいたが。ソルの歩みから遠ざかるように後退りしたため、鎖が高鳴った。
「来るな」
 拒否の悲鳴に、抗いようのない恐怖を見出して、ソルは悦に入った笑みをこぼす。
「我が不朽の魔術は再び完遂された。リヒトめが乱した故の痕跡は全て消滅した。心置きなくお前の相手をする準備が出来たのだ、ユイ」
「さ、触るな。オレに触るなっ!」
 寝台の上にまで手が伸びる頃、唯が暴れた。だが祭壇と称された部屋を囲った呪壁が少年の魔術士としての才能を潰す。ただの子ども同然、大人相手には無力だった。体格差がありすぎる。
「オレはっ、貴様のような――やつに、好き勝手にはされない」
「心までは、と、言いたいのだな? 何度も同じ言葉を喋りよるな。忘れたか? もはやお主、私の感触をその身に覚えただろう」
「っ!!」
 苦しいところを指摘されて、唯の眉間が皺寄る。
 至近距離から苦悶を見つめて、ソルは寝台に膝をついた。スーツの上着を脱いだ白シャツ姿で、残酷な笑みで口角をしならせながら唯の右肩を押し倒す。
 少年魔法士はあっけなく倒れ伏した。眼で気丈に男を睨み付けた。
「どこまでも穢れた男だ……ッ。己の魔力を高めるためならば、子喰いすら厭わぬと言っているのだぞ?! 貴様!」
「それがどうしたというのだ」
 ソルが喉を鳴らす。一片の後悔も、呵責も、躊躇いもない。酷薄に見下ろしてくる赤眸は、視線をぶつけるだけで唯に深い絶望感をもたらしてくるが、だからといって逃げることもできなかった。唯は精霊器使いにして誇り高くあれと教えられてきた魔術士である。類稀なる使命感と潔癖感は、目前の外道を前にすると毎度のように嫌悪を呼び込む。唯の衣服を脱がせ、肌を剥き出すと、そこに浮いた鳥肌を愉しむように、ソルは大きな成人男性の手のひらを這わせていく。
「や、めろ……っ」
 少年の眸が恐怖に揺らぐ。
「高貴な魂が我が肉体の下にあると思うと、昂ぶりを覚えるな。お前には考えもつかんのだろうな? かような穢れた儀式でもって高みを目指す崇高なる我が意思など」
「す、崇高なものか。単に、強欲なだけだ――」
「ふ。生意気な口を聞く『器』であるな」
「ひっ」
 仕置きとばかりに、ソルの指が唯のへその上を押した。高純度のエーテルを体内に注がれて少年の背中が仰け反る。
「うあ……あっ……!」
「こんなものではないぞ。わかっておるのだろうがな」
 注ぎ続けながら手のひらを降らせ、下腹へと宛てる。エーテルの直撃に嬌声が大きくなった。抽入を続けながら、ソルは独り言のようにうめいて、窓のない室内を見渡した。壁には封印の呪文が書き殴られている。
「三週間なるぞ。今宵は新月。月の一周期を有効に活用してくれよう。惑星の運行も都合がいい……。これより、毎日、我が精を注がれれば如何に強情なお前の体とて胎内への着生を免れぬだろうよ」
「くあっ……、あ、い、いや……だ」
 か細く呻く声も気にせず、深々と埋め込んだエーテルの指先でもって唯の中を掻き乱す。がくっと腰が痙攣を起こした。
「ふあ、あっ。あっ」
「相変わらずいい声で啼きよるな。ユイよ。さように乱れては口でいくら否定しても見えぬものだぞ……。私との交わりを拒んでいるようには」
「ふぐ……っ、ぐ、ぁ、ああ」
「いい感触だな」
 エーテルの指がぐっと内部で握られた。
「ひぁああああっ?! あっ! やっ、め、ああぁ」
 少年の全身が仰け反り、水揚げされた魚のように跳ねる。程なくして唯が一際に掠れた悲鳴をあげた。長く尾を引いて、戦慄いて、快楽の収束を告げる。絶頂の余韻にまどろみかけた直後、ソルは意地悪く唯の眼を覗き込んだ。唯の背中を抱いて、エーテルの結合を深めながら揺り起こす。
「うっ。あ。……あ」
 少年魔術士は反射的に両目を閉ざす。気高い意思が、快楽に蕩けた眼差しを向けることを拒んでいた。
 だが、男の言葉に驚愕すると、すぐさま瞼を開けた。
「……契約?」
 赤き眼の魔術士はからかうように告げていた。
「?! なっ――」
「ユイ・マナセよ。纏わる資料を仔細に集めたところ、お前は、契約者を求めていたとする記述があったが? お前に力を与える者だそうだな?」
「な、にを、いう……」
 途方に暮れかけたが唯はすぐさま下唇を噛んだ。
「貴様に関係はない」
「あるな。我が『器』は我が意思に添い遂げるもの。把握しておくのは主人の務めであろうが?」
 唯の体を抱きこみ、肌の接触面積を広げると共に刺激を大きくしていく。唯が耳まで赤くなり、懸命に声を堪えていた。
「契約者とは魔力配給を行わせる相手であるな? お前は其れほど魔力消費の激しい体であるということ、私の読み通りではあるが、いささか驚いたぞ。今まで十人を超す哀れな少年達を棒に振ったそうだな」
「…………」
 唯は奥歯を噛みつつ探るようにソルの赤眼を覗き込む。
「何が言いたいのだ、お前」
「かような気高き魂を持ちながら娼婦のように媚を売っていたのかと勘繰ったぞ。お前の地位と力を差し引いても、あれほどの候補者の数、志願者の数――そのか弱く愛らしい見てくれを利用して、誘惑でもしかけたか?」
「っ?! そんなこと、オレはしないっ」
「ほう? では女王の如く契約志願者達を選別する立場か。並み居る少年どもの純情を足蹴にするのは愉快であろうな」
 少年の眸に怒りが点る。かつての盟友を罵倒する言葉には耐えられない。
「オグドアスの魔術士は貴様のような下種ではないっ! 単にオレに合わぬ相手だったからだ――、オレが未熟だったからだ!」
 言い直したのは、唯の気高さ故だ。不適合とした者達への思いやりに欠けていたあの頃、契約者が選出されなかった責任は、彼らにあるというより唯にあるのだ。彼らに心を開く気がなかったこと、不用意に候補者たちを傷つけていたという悔念を今では持ち合わせている。ソルによって強引に虜囚とされる前に、仲間から教わったかけがえのない感覚だ。
 だが唯は失敗を悟った。ソルは張本人から情報を引き出せたことに満悦して赤眼をしならせる。
「ほう。彼の精霊器使いは、どうやら問題児でもあったようだ」
「く……」
 見透かすような眼差しに、悔しさがこみ上げた。
 男の手のひらが、ゆるゆると肌を撫でる。ソルはポツリと呟いた。
「どうだ? 私を契約者とした気分は?」
 一瞬、意味がわからなくなった。
 唯は思考を停止させたまま残酷な青年魔術師を振り返る。
「契約者だと――?」
「我が肉体の立場はそうなるだろう? ユイよ」
「そ、んな……、うっ」
 そんな馬鹿なことが、と、言いかけて体内に流入するエーテルに眉間を狭くする。体の奥底から溢れる熱に耐えつつ少年は必死に思考を巡らせようとした。そうなるのか? こんな状況にあって自分は虐げられているというのに?
「我が『器』たるお前は私に隷属するものなるが――、契約者の働きなぞ、花を折るよりも楽なるものぞ」
「あっ。……ひ?!」
 不意に唯の中枢を貫くものが質を変えた。ソルのエーテルと唯の中と、その隙間を縫うようにして膨大な魔力が流れ込む。眼の裏が赤くなるほどの衝撃に、言葉もないまま唯が全身を痙攣させた。
「貪欲に過ぎるぞ、ユイ」
 くつくつと肩を揺らしてソルがエーテルを引き抜いた。
 具合を確認するように改めて唯の肌を、胸を、首筋を撫で擦る。
「うあっ、あぁ」
 体内の種子が強烈に疼く。唯は足の指まで丸めて体を丸くした。ソルの腕の中で身を縮めると甘えたようにも見える。
「中途半端な刺激で余計に飢えたか。なるほど。扱いづらい体であるな」
「ソ、ソル。妙な真似はやめろ……」
 戦慄き声に浅く酷薄に笑み返し、青年魔術士は唯を向かい合わせの形で座らせた。その下腹に手をしっかりと押し当てて魔力を与える。唯の体が硬直した。
「あ、あぁ……あ……っ!」
「愉快であるな。さあ、これよりの蜜月もその調子で我が眼を悦ばせるがいい。主たりて契約者たる者の望みであるぞ」
「くっ。あ、そ、な、認められな、い」
「形式にこだわるか、精霊器使い。では明日には儀式を執り行うとしよう。我が魂にお前の印を刻むことにもなろうが――、不思議と些細な損傷に思えるゆえ」
 少年魔術師の眼には困惑の色が浮かぶ。目の前の仇敵が本気だと肌で感じるからだ。
 ソルは時折り魔力を送り、エーテルを送りと、その度の唯の反応を愉しんで悪戯に刺激を与えた。そうしながら低い声で呻く。二百年の永きに渡って血脈を支配し、残酷な振る舞いを行う魔術士の眸は闇中に光る。言い聞かせる意思でまたたく赤眼は蛇のようだ。
「なあ、ユイよ、来世まで添い遂げる命運にある我らの魂に、互いの足跡をつける程度の傷口は必然のものであると思わぬか」
「……あっ……。くぅ……」
 断続的な刺激で思考を蕩かされながらも、少年魔術士は歯を剥いて男を睨む。赤く腫れた目元には薄っすらと生理的な涙が浮かんでいた。
「おもわな、い……。思えるものか」
「ほう。私は、その程度の蛮行は許可してやるくらいにはお前が気に入ったぞ、ユイ」
 するりと頬を撫でる。大きな手に、唯が僅かに怯えた。

 

 

end.

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